ついに13人揃った同好会
10話と言えば合宿回です。各作品、何かしらの波乱が起こる回ですが、今回は本当に箸休めのような内容でしたね。とはいえ、そういう回だからこそ掘り下げられるものがあります。今回は、我らが部長・中須かすみがどんなアイドルなのか、この回を観て思ったことをまとめておこうと思います。キーワードは「猫」です。
では、よろしくお願いします。
1. 猫は何故見つからないのか?
璃奈が作ったゲーム『ニジガクGO』には、ニジガクメンバーによく似た猫が出てきます。おなじみ「にゃんがさき」です。2021年のエイプリルフールで、侑を除く当時の同好会メンバー10人が猫化して登場しました。後のR3BIRTHファンミーティングのグッズでミア、嵐珠が追加され、今回のアニメで侑が加わって13人分揃いました。
今回は鎌倉中を歩き回り、『ポケモンGO』*1のようにこの猫たちを集めるゲームで同好会メンバーたちが競い合いました。その中で、侑がすべての猫を捕まえ、優勝します。最初に捕まえたのが「にゃんじゅ」なのも興味深いところです。一方で、”部長”かすみは、1匹しか捕まえられませんでした。猫を捕まえられるメンバーと捕まえられないメンバーは何が違うのでしょうか? 方向音痴の果林がいい線を行っていたようなので、街歩きのスキルは関係なさそう*2です。
『虹ヶ咲』における猫を振り返ると、1期からずっと生徒会お散歩役員ことはんぺんが活躍しています。はんぺんが「夢の使い」であると、前回の感想で書きました。本来、猫は自由気ままな生き物です。いつでも自分が一番偉くて、誰かの期待に応えるでもなく、自らの道を闊歩しています。
嵐珠と栞子の二人は、かすみと並んで暫く猫の数が0でした。しかし、嵐珠がなかなか言い出せずにいた、みんなとの写真を撮りたいという希望を口にし、まずはそれを聞いた栞子と二人で撮った瞬間、二人の背後に「しずにゃん」が現れました。それを考えると、やはり自分の希望を一つ一つ形にしていく過程で、猫が現れるのだと考えられます。しかし、そうすると常に自分の希望に正直なかすみの元に猫が現れない理由がよくわからなくなってしまいます。
考察は次に続きます。
2. 「虹ヶ咲の最強アイドル」の才能
かすみはみんなからもっとかわいいと言われたい、あるいは尊敬されたいというありとあらゆる承認欲求を、隠そうとしても隠すことができません。これはしかし、数多の人が言葉にできない承認欲求を拗らせて歪んでいる現代社会においては、ある種の稀有な才能なのではないでしょうか。先述の嵐珠も、どこまでも自分に素直なかすみの影響を受けて自分の望みを口にしました。しずくの大豪邸に怖気づくこともなく、この広さならみんなでお泊まりできると言い出す遠慮のなさも、もはや才能です。
かすみは自分のこだわる「カワイイ」を磨くため、日々行動を重ねる職人的な人物です。ところが、評価されるのは時に自分のこだわりとは違うところであることもあります。大きなリボンを着けた「ダイアモンドの原石」は、「かすみん」のアートワークではないのですから。しかし、それでもかすみは前に出たいという欲求を周りに見せていくことで、周りの行動を変えていく力を持っています。2話の感想でも書きましたが、同好会が新しいステップに進むときには、常にかすみの影響力がありました。このように人に影響を与えられる存在を、アイドルと呼ぶことができると思います。「虹ヶ咲の最強アイドル」の自称は伊達ではありません。
3. 「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会・部長」
『スクスタ』では同好会の9人が主人公を部長に指名します。一方で、アニメの部長はかすみということになっています。これは本来部長だったはずのせつ菜*3が旧同好会を解体してしまい、同好会という場所を必要と信じ続けたかすみが同好会を復活させたという経緯によるのですが、今回のかすみは部長らしく振る舞うことにこだわっていました。
部長としてみんなの尊敬を集め、同好会を引っ張る存在というのがかすみの思い描く部長像です。しかし、「いいところ」を見せようとしたかすみの企ては悉く失敗します。お泊りの経験のない栞子と嵐珠を騙そうとするなど、「腹黒系」の片鱗も見せていますが、これはご愛嬌です……。見ようによっては、これは「型にはまる」というニジガク的自由主義における「不正解」にも見えます。だから猫が見つからなかったのでしょうか?
もう一歩踏み込んでみましょう。スクールアイドル同好会は、統率など必要としていません。果林が道に迷うと思えばエマが璃奈にGPSを用意させたのを見ればわかります。そもそも、それぞれの大好きと夢が集まる場所であって、誰かが仕切る必要はないので、「部長風」を吹かせるのは困難な環境です。しかし、かすみが部長らしくあろうと奮闘する姿が、周囲にきっかけを与えていく原動力になり、同好会全体がそこから力を得ていることが、かすみの部長たる証だということが、今回のエピソードを観てわかりました。ここでも自分の思い描く姿と違うところで評価されてしまうのが、かすみらしいですが……。かすみの部長性がかすみ自身の理想 (=「かすみん」) と違っていることで、「かすかす」*4や「子犬ちゃん」なのも意味を持ちます。
さて、冒頭の猫を捕まえられないかすみの話に戻ると、ミアは子犬のようにキャンキャンうるさいと称していますが、自分の思いに素直に、のびのびと生きるかすみの生きざまは、まるで猫のよう*5ではないでしょうか。つまり、同好会のみんなにとってかすみ自身が「かすみゃん」だから、という説を今回の答えにしたいと思います。
余談ですが、以前某所で、扉越しにTVで流れている『虹ヶ咲』の音声を聴く機会がありました。その結果、かすみの声だけがよく通っていました。これも、部長の素質かもしれません。
4. 終わりへの布石
ラストシーンではみんなで花火をしていました。もはやわかりやすい比喩ですが、線香花火は儚い時の象徴です。13人での合宿という楽しい時間ももちろんそうですが、ここで映るメンバーは果林、エマ、彼方*6という「卒業」が待っているメンバーです。最初から「廃校」という終わりを意識しなければならなかった『サンシャイン!!』と異なり、『虹ヶ咲』はほとんど物語の終わりに言及してくることはありませんでした。夢は無限でも青春は有限です。虹ヶ咲がこの相反するテーマにどのような答えを出すのか、切ないながらもどきどきしています。