Aqours結成9周年、おめでとうございます。
「9」はラブライブ! にとって、Aqoursにとって大切な数字です。9周年は、Aqoursの5周年以来の重要なアニバーサリーになることが確実視されていました。
その9周年として発表されたのが、『Aqours Finale LoveLive!』でした。「Aqours」としての集大成であり、最後のワンマンライブです。そもそも「Finaleライブ」とは何なのでしょうか。私はそれを、どんな気持ちで迎えればよいのでしょうか。心に聞いてみました。
1. 9周年の意味
確かに発表映像を見ていたときは、心臓がバクバクしていました。何が発表されるのか、どのように発表されるのか、発表したAqoursはどんな想いなのか……。
その内容は、かなり予想に近いものでした。Xを見ていても、「予想していた」という声が多かったように思います。Aqours CLUB 2024の新曲『僕らの海でまた会おう』のタイトルからして、その雰囲気が醸し出されていたとも、6周年以来の全員集合であることからも、並々ならぬ決意が発表される場だと物語っていました。
私は、Aqoursが活動を締めくくるなら、そのタイミングは9周年しかないと思っていました。Aqours5周年のプロジェクトがコロナ禍で殆ど崩壊したとき、「あ、Aqoursの本当のアニバーサリーは9周年だから……」と自らに言い聞かせていたのを記憶しています。それまでは解散も活動終了もできない、ということは確信していました。そして30日、当のAqoursから、あのときのことがあって「もう5年、10周年までやろう」と決意した、と聞きました。Aqoursは、私が考えていた通りのAqoursでした。ドームツアーに野外公演、2回 (高槻かなこさんの欠場を含めると、実に5回) のAZALEAライブと失ったものは大きいですが、もしもあのままドームツアーをもって活動を終えていたら、『ぬまづフェス』も『幻日のヨハネ』もなく、沼津市制100周年に立ち会うこともなかったはずです。そう考えると、このFinaleライブさえ無事に終えれば、Aqoursの「復讐」は完成すると言ってもよいでしょう。
だから、驚きも落胆もありません。来るべき時が来た、そんな心境です。
2. Finale
ひとつ気になることがあります。
「FINAL LoveLive!」ではなく「Finale LoveLive!」です。英語からイタリア語に変わっていますが、わざわざ変えているということは何か意味があるはずです*1。平易な解釈でいえば、さしずめ「Aqours自体の終わりではない、物語の結末」というところでしょうか。
Aqoursの最終ライブがμ'sと異なる名称を名乗ることは、実は薄々予想していました。そもそもアニメ1期12話において、μ'sが解散を決めたあの浜辺で、Aqoursがμ'sとは別の道を歩むことが宣言されていました。それから8年間、Aqoursは様々な活動をしてきましたが、大枠で言えばどの活動でもそのことを実現し続けていたと思います。東京ドームという大きなステージの「その先」へ進み、劇場版で閉じた幕を『未体験HORIZON』で再び開いて、まだ見ぬ水平線の向こうへ夢の続きを追いかけました。劇中でも、解散を選ぶことはありませんでした。
それならば、その終着点もμ'sとは違って然るべきなのです。そして、「Finale」が意味するものも、Finaleライブが終わってみないとわからないのだと思います。
3. でもやっぱり辛い!
Aqoursは、なくなりません。
私の中に、人々の中に、Aqoursと駆け抜けたAqoursそのものである9人の中に。そして地元沼津に、これからも生き続けます。
それも、μ'sの「forever」とは違う意味で、だと思います。私もオケコンなどに行きましたが、μ'sの最終盤で初めてきちんとラブライブ! を知った私から見れば、μ'sはさしずめ「いつまでも終わらない思い出」のようです。しかし、Aqoursは思い出になるには、いささか実体を持ちすぎているような気がします。
事実、Finale後に『沼津地元愛まつり2025』の開催を発表しています。同一名称のイベントを2年分発表するのも前代未聞です。既に最終ライブを終えたグループが比較的間を置かずにイベントを開催するのも、かなり珍しいと思います。
そうは言っても、FinaleはFinaleなのです。何もかも終わってしまうわけではなくても、何も終わらないわけではありません。選抜メンバーやわいわいわいなどのユニットでAqoursの曲を披露することがあっても、9人揃ったパフォーマンスを何曲も浴び続けることはできなくなります。『幻日のヨハネ』の2期が幸運にも制作されたとしても、2ndライブが開催される保証はどこにもありません*2。伊波杏樹さんは一生Aqoursでい続けると誓ってくれていても、8人の仲間たちに頼もしい背中を見せながら、大きなドーム会場いっぱいの観客を焚きつける姿を見られるのは、来年までです。何万人もの人で一斉に『勇気はどこに? 君の胸に!』を合唱できる機会も、最後かもしれません。それもこれも、Aqoursが覚悟をもって決断したことです。
正直に言えば、Aqoursが活動に区切りをつけるということを前々から意識していても、未だに実感が湧いていません。しかし、こんなことではFinaleライブの千穐楽 (会場はやはり東京ドームでしょうか。あるいは、ツアーか……) でAqoursが退場した後、あるいは会場を出た瞬間、あるいは翌日変わらずに訪れた日常の中で、会社で業務をしているときふと、たまらない喪失感に襲われてしまうに違いありません。今から1年かけて、Finaleをどう迎えるのかを決めなければなりません。そのために、1年という時間を用意してくれたのだと思います。
今年のAqours CLUB楽曲『僕らの海でまた会おう』のテーマは「出会いの意味と去ってく時代への想い」です。この1年間、Aqoursと過ごした時代を少しずつ振り返りながら、私にとってのAqoursが何なのか、Aqoursと出会った意味は何だったのか、自分の答えを見つけていけたらと思っています。