普門寺飛優のひゅーまにずむ

好きなものについて不定期に語ります。

Aqoursとの10年を振り返る① ~2016 ラブライブ! Aqoursと出会った日

Aqours10周年まで あと327日 (2024. 8. 7)

Aqours誕生前、偶然にも訪れていたあわしまマリンパークのイルカショー (2009. 3. 29)



 今回は、私がAqoursを知った頃の話をします。

 「私にとってAqoursとは何か?」の答えを探す上で、まずはそもそもどのようにAqoursと出会ったのか、簡単に紹介しておきたいと思います。

 

Aqoursと私の略年表 (~2016. 6. 29)

年 (月日) Aqoursの歩み 普門寺 (筆者) の歩み
1992 8月8日、逢田梨香子さん誕生  
1996 8月16日、斉藤朱夏さん誕生。
のちにAqoursキャストとなる9人がこの世界に出揃う
誕生
2010 6月30日 (初報は5月29日)、『電撃G's magazine』上でラブライブ! シリーズ始動  
2015. 2 26日、『電撃G's magazine』上で『ラブライブ! サンシャイン!!』始動 大学受験
2015. 4   大学に入学
2015. 6 30日、Aqours結成 7月ごろにはAqoursの存在を知る
2015. 10 7日、デビューシングル『君のこころは輝いてるかい?』リリース  
2015. 12   この頃から明確に『ラブライブ!』が好き
2016. 1 11日、Aqours初のライブイベント (リリイベ)『Aqoursスペシャル課外活動 みんな準備はできてるかい? ~せーので SUNSHINE!!~』をメルパルクホールで開催  
2016. 4 1日、μ'sがFINALライブをもって第一線を退く。
27日、2ndシングル『恋になりたいAQUARIUM』リリース
 
2016. 5 CYaRon1・AZALEA・Guilty Kissの3ユニットが相次いでシングルをリリース  

 

 

1. Aqours誕生以前

 私の生年月日は、伊波杏樹さんと斉藤朱夏さんの間にあります。従って、Aqoursキャストのほとんどは年上ということになります。

 2015年2月26日、『電撃G’s magazine』に1枚のイラストが載りました。青い空と青い海と白い砂浜。砂浜に立ち、拳を上げて何かを叫ぶセーラー服の少女。その上には、「助けて、ラブライブ!の文字。

 新プロジェクト『ラブライブ! サンシャイン!!』の始まりです。

 この頃、私は受験生でした。第一志望の試験は終わったものの手応えは芳しくなく、合格発表を待たずに次の日程で取り返そうと必死になっていました。私の人生の3分の1に重なる物語が始まっているのも、知ることはありませんでした。

 結局第一志望には受かっており、本格的に「助けて!」となることなく (笑) 私は大学に進学しました。大学の同期や先輩との交流用にTwitter (現・X) を始めると、当時のTwitter上でも『ラブライブ!』があまりにも大きな勢いを持っていました。当時は劇場版を目前に控えた黄金期でした。この当時はまだ特別興味を持つには至らなかったのですが、それでも自然とμ'sのことを知れるほどでした。思えば、私はμ's1stライブの直後からアニメ1期、初代『スクフェス』リリース、アニメ2期に重なるμ'sの成長期と高校時代が重なる「μ's世代」なのですが、なぜこんなにも『ラブライブ!』と縁がなく生きてきたのでしょうか。もともと特にアイドルが好きというわけでもなければ、流行りのアニメを観たいという願望も弱く、それも自然だったのでしょうか。

 そんな私がAqoursを初めて知ったのが、結成一週間後の7月6日でした。この頃は『ラブライブ!』と『ラブライブ! サンシャイン!!』の違いもわかっておらず、『ラブライブ!』の3期をやるのだとばかり思っていました。ただし、そこにμ'sとは異なるキャラクターたちが集まっていることは確かに認識していたはずです。

 

2. ラブライバーとして

 自分自身がラブライブ! を好きであることをはっきり意識したのは、その年の12月頃でした。

 きっかけは、大学の同期でした。この年始動したばかり (こちらもAqoursと同じだけの歴史を刻んだ9周年ということになります) のμ'sコピーユニットに所属したクラスの同期が、ことり役としてパフォーマンスをすることになりました (後にこの方は穂乃果役、そしてAqoursのコピーユニットにも、参加して鞠莉役と歴任しています)。そのステージの応援に行き、本物の『ラブライブ!』のパフォーマンスではないにもかかわらず、ラブライバーの熱気や、ペンライトの景色というものを初めて肌で感じたのです。この頃に好きだった曲は『START: DASH!!』や『Snow halation』でした。

 こうして、『ラブライブ!』ファンとしての一歩を踏み出した私でしたが、早速の逆風が吹きました。12月、μ'sは翌2016年3月31日 (木)・4月1日 (金) のワンマンライブをFINALライブとすることを発表しました。当時は、正直その意味するところがわかっていませんでした。そして、どこか遠い世界の話だと思っていました。このような大勢が集まるイベントに行ったこともありませんでしたし、μ’sのことも、キャストの顔と名前も一致していない状態であり、行ってみようという考えは湧かなかったのです。誤解なきように言うと、もし今Aqoursについてその段階の方がいれば、ぜひともFinaleライブへの参加を目標に、Aqoursのことを少しでも知ってほしいと思います。今だったら応募くらいはしたかもしれませんが、抽選も今よりも厳しく、結局私は3月末に発熱して寝込んでいたので、実際のところ行けたかどうかはわかりません。

 

3. 逆張り

 ようやくAqoursの話をします。

 Aqoursという新しいスクールアイドルがいると知ったときから、あるいはμ’sがFINALライブを迎えると分かったときからか、何となく自分は同年代のラブライバーとは異なり、Aqoursの世代としてAqoursを応援していくような予感がしていました。当時のAqoursには、特にμ’sのFINALライブが発表された後は、相当に厳しい視線が寄せられていたと記憶しています。ある時期まで、ラブライバーは保守的というか、有体に言えば新しいものに対して否定的な部分があったことは間違いありません。もちろん当時から人それぞれではありますが、そのような言説が力を持ち、比較的新しいものに意欲的な人に対して主流とは名乗らせない風潮がありました。

 だから、私のこの態度は逆張りでもあったのだと思います。好きなようにラブライブ! を、スクールアイドルを応援してよいのだという信念を、自分でもそれに自覚的になる前から抱いていたのではないかと思っています。それは、のちに自分のラブライブ! 観を形作ることになったと思います。

 もちろん、恋になりたいAQUARIUMからは、本格的に楽曲も聴いていました。

 

4. Aqoursのふるさと

 Aqoursに注目したことで、私は必然的にそのふるさとである沼津に注目することになりました。第一印象としては、リゾート地として古くから栄える伊東など東伊豆や、富士山登山口がある御殿場と比べると、沼津に何があるのかは存じ上げませんでした……否、ありました。あわしまマリンパークに行ったことが。Aqoursがここを舞台に活躍を始めたときから遡ること6年以上になる2009年春、小学生の頃に家族で伊豆を訪れたとき、立ち寄っていたのです (ただし、ここが沼津市であることは知りませんでした)。どこか物寂しい雰囲気はありながらも、自然に囲まれて感動を誘う場所でした。そこで果南や鞠莉が暮らしていることを知ったとき、Aqoursの存在が実感に変わりました。ちなみに、このときは忘れていたのですが、あとで親に聞いて、2002年に伊豆・三津シーパラダイスへも訪問したことがあったことを知りました。

 私は元々旅行好きで、アニメの「聖地」にも関心がありました。ほとんど知られていなかった場所にファンが殺到するようになるケースもありますが、幸い沼津は景観や観光スポットに恵まれています。既に聖地巡礼で賑わっていた大洗 (『ガールズ&パンツァー』) に近い環境が揃っていたといえます。当時そこまでの認識を持っていたかは覚えていませんが、『ラブライブ! サンシャイン!!』が沼津を知らしめることには期待していました。

 『君のこころは輝いてるかい?』のPVには、小田急グループ沼津登山東海バス (現・東海バス) が映っていました。ところが、『恋になりたいAQUARIUM』の舞台は西武グループの『伊豆・三津シーパラダイス』です。このときには既にライバル同士の壁を越えて『ラブライブ! サンシャイン!!』を盛り上げようという機運があったようです。交通にも多少詳しいと思っていた私にとって、これは驚きでした。ちなみに、沼津には富士急グループのバスも走っていますが、富士急グループとは後の富士急ハイランドコラボでタッグを組んでいました。こちらも沼津の富士山とは長年のライバル関係にあるはずの山梨の富士を仰ぐ施設であり、Aqoursの影響力に驚くばかりでした。

 

5. TVアニメ1期へ

 結成1周年目前になると、7月から始まったTVアニメ1期のPVが公開されました。そのPVには、なんとμ'sの姿がありました。μ'sとAqoursの関係は、当時匂わされてはいたものの、はっきりした言及はなかったはずです。無印『ラブライブ!』と地続きの世界観とわかり、大注目を集めた瞬間だったと思います。