普門寺飛優のひゅーまにずむ

好きなものについて不定期に語ります。

Aqoursとの10年を振り返る② 2016~2017 追いかけろ、仲間とともに

Aqours10周年まで あと294日 (2024. 9. 9)

秋葉原の街に現れたダイヤの広告トラック (2016. 12. 25)

 Aqoursが結成1周年を迎えた年は、TVアニメ1期が放送され、TVやネットや街中で、そして聖地沼津で、本格的にAqoursの姿が見られるようになり始めた年でした。既に自分のことをAqoursのファンだと思っていた私にとっても、一気に供給が増えたコンテンツを享受しつつ、家から外へ飛び出したくなる1年でした。「Aqoursに会う」という決定的な一歩はもう少し先となりましたが、好きなメンバーや曲も固まり、だんだん今と同じような気持ちでAqoursの曲を聴くようになりました。

 

~2016

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Aqoursと私の略年表 (2016. 6. 30~2017. 6. 29)

年月 (日) Aqoursの歩み 普門寺 (筆者) の歩み
2016. 7. 2 TVアニメ『ラブライブ! サンシャイン!!』第1期放送開始  
2016. 7. 5 ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』に本格参戦  
2016. 7. 31 沼津市民文化センターにて、初めて沼津でのリアルイベントが開催された。なお、「課外活動」を称するイベントは2016年頃を最後に開催されなくなった。  
2016. 9. 1   旅行の途中で沼津・内浦に立ち寄る
2016. 11.23 スクフェス』コラボシングル『ジングルベルがとまらない』リリース  
2016. 12   ジングルベルがとまらない』全面広告トラックを追いかける
2017. 2. 20   沼津へ初の本格的な聖地巡礼旅行。伊豆・三津シーパラダイス訪問
2017. 2. 25・26 Aqours初のナンバリングライブ『Aqours First LoveLive! ~Step! ZERO to ONE!!』開催 参加せず。
2017. 4. 5 3rdシングル『HAPPY PARTY TRAIN』リリース  
2017. 5 CYaRon!・AZALEA・Guilty Kissの3ユニットが相次いで2ndシングルをリリース  

 

 

1. TVアニメ1期

 2016年7月2日 (土) に放送が始まったTVアニメ『ラブライブ! サンシャイン!!』1期は、初めて見たラブライブ! のアニメでした。この時点では『ラブライブ!』無印を見ていなかったのです。また、当時は自由に使えるTVがなかったので、完全なリアルタイムではなく見逃し配信で後追いしていました。

 第一印象としては、綺麗な絵のアニメだと感じました。景色もキャラクターもきらめくようで、一番最初の、千歌が初めてμ'sの存在を知るシーンからその世界に釘付けでした。

 物語が進むと、わくわくの中に一抹の不安が芽生えます。2年生の3人でグループを結成して3話でファーストライブ。生徒会長の反発。1年生の幼馴染どうしの絆や、少し癖のあるメンバーの加入譚。そして、どこからともなく与えられるグループ名。本編を観たことはなくとも、『ラブライブ!』のあらすじは把握していたので、そのどれもが『ラブライブ!』と同じことに気づいてしまったのです。μ'sファンからAqoursへの反発も根強い中で、偉大な先輩たちと同じことをしていて大丈夫なのだろうか。そう感じていました。

 流れが変わってきたのは7話『TOKYO』からでした。初めて6人で挑んだ遠征で、Aqoursは人気0票で最下位という大敗を喫します。『ラブライブ!』ではないくらい早い段階での挫折 (というよりほとんど理不尽に近い仕打ち) に直面したAqoursと、また別の挫折を経験した3年生たちが1つになる展開から一気に引き込まれていきます。そして、迎えた12話。Aqours秋葉原神田明神、湘南の海岸と、μ'sが『ラブライブ!』2期で行った場所を辿ります。その場所で、Aqoursはμ'sを「追いかけない」ことを宣言しました。ここがAqoursの「0から1へ」の出発点でした。後発シリーズが多数動いている今考えても、新たなスクールアイドルが自分の力で自分たちの道を歩み出した瞬間こそ、ラブライブ! シリーズ全般にとっての歴史の転換点でもありました。それをTVアニメとしてはっきり表明したのがこの回だったのだと思います。

 さて、このアニメを観ている頃に、もう一つ私の中で固まってきたことがありました。一推しが黒澤ダイヤになりました。きっかけはいろいろありますが、8話で東京から戻ってきた後輩たちに見せた優しさや、隠しきれないスクールアイドルに対する想いなど、幾重にもギャップを見せられたことは大きかったと思います。もともとギャップの塊のような人物像ではありますが、名家の令嬢として、姉としての立場、μ'sのファンである自分、奔放な幼馴染に挟まれて自分も暴れたい気持ちなど、見れば見るほど奥深く感じるキャラクターだと思います。

 1期の挿入歌で一番好きなのは想いよひとつになれでした。「なにかをつかむことでなにかをあきらめない」という言葉は、今でもずっと心の中にあります。その後の人生の様々な選択の中で、度々この言葉に背中を押され、ときに発破をかけられていました。

 曲といえば、他にもこの頃刺さり始めた*1曲がありました。1周年より前の曲ですが、『届かない星だとしても』の歌詞がより鮮明に感じられるようになりました。アニメを通して、この歌が示唆しているμ'sとの向き合い方に注目するうち、みんなと一緒にあることに立ち向かい、同じ夢を追いかける力に意識が向かい始めたからだと思います。

 『ラブライブ! サンシャイン!!』の初期のキャッチコピーは「助けて! ラブライブ!」でした。駆け出し始めたAqoursが大局を覆す力をつけるには、「みんなで」「自分たちの道を」行くことが必要だったのです。

 ところで、1期最終回である13話を観たときの感想は「最終回ってこういうものなの?」という困惑でした。突然ステージに立ちたいと言ってきた学校のクラスメイトたちの希望を断り (そもそもルール上不可能なのですが……)、東海大会ではAqoursに魅了された地元沼津の観客たちがルール無用で駆け出し、Aqours自身もどこかへ走り去ってしまう……という掴み所のないものだったからです。もっとも、それまでの流れと少し趣向を変え、その時点では答えの出ない問いを用意して終わるのはラブライブ! シリーズのアニメの常套手段ではあります。Aqoursの10人目」という概念はまだ可視化されていないのですから、わからないのも仕方ありません。後々になって考えてみれば、1期3話の体育館ライブからこの回、2期で廃校が決まったとき、閉校祭、ラブライブ! 優勝、そして劇場版にいたるまで、学校と地域の人々がAqoursとともにあったことだけは一貫しています。私のラブライブ! シリーズ最終回の原体験がそれであり、基準がそこにあるので、『スーパースター!!』2期最終回でもそこまで動揺しなかったのも確かです。

 

2. 初めて見た内浦の景色

初めて乗った伊豆箱根バスのラッピング車

 アニメ1期放送中の9月1日 (木)、私は『ラブライブ! サンシャイン!!』が始まって初めて内浦に立ち寄りました。実際には2001年と2009年の2度行ったことがありましたし、この時の目的地は沼津ではありませんでした。東京から大阪へ、私鉄と路線バス、フェリーを乗り継いで向かう旅の途中、三島からフェリーの出る伊豆市の土肥へ向かっていたのですが、せっかくなので沼津・内浦に寄り道することにしたのです。沼津駅から東海バスオレンジシャトル (現・東海バス。同年の4月に沼津登山東海バスから社名を改めたばかりであり、Aqours活動中に2度も社名を変えたことになります) に乗り、片側1車線の細い道を暫く走ると、右手に青い海が広がりました。淡島が佇み、遠くに富士山が聳え立つ風景が見えてきました。しっかりと作品を観て、その上で舞台地域へ向かう、私にとって初めての「アニメ聖地巡礼」がこのときでした (ただし、神田明神などには既に何度か足を運んでいました)。

 本物の景色は予想を上回る綺麗さでした。しかし、本物を見てからアニメを観ると、アニメの中の風景もますます綺麗に見えてきました。自分の経験と結びついたから、というのもありますし、個人の感想ですが、そもそも景色を正確かつ美しく描くことにかけては『サンシャイン!!』の右に出る者はいないと、特に劇場版のころから感じるようになり、今でもそう信じています。

 2期から実名で登場した内浦のセブン-イレブン以外特に観光はせず、伊豆・三津シーパラダイスの前のバス停からすぐに伊豆長岡駅行きのバスに乗り換えてしまったのですが、せめてもの沼津要素としてのっぽパン」ことバンデロールの『のっぽ』を食べました。

 少し足を伸ばして土肥から海を渡ると、海上からの富士山の絶景もまた良いものでした。

 

3. スクフェス

 3月に友人の薦めで始めたラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』に、7月からAqoursが本格参戦しました。こちらの思い出については関連記事に譲りますが、当初から家でも旅先でも「シャンシャン」していました。ホーム画面は基本的にAqoursモードに設定していました。跳ねるような明るいBGMが好きだったからです。モード切替機能廃止後は、ニジガクやLiella! の部員をナビゲーターに設定することが増え、このBGMを聴く機会も減ってしまいましたが、度々ナビゲーターにAqoursメンバーを設定して聴いていました。

 Aqoursにまつわる思い出としては、沼津に行く度、あるいは列車で沼津を通る度に、そこでAqoursの勧誘 (ガチャ) を回していたことです。Aqoursのいる街には、力があるような気がしていました。このゲームはサービス終了まで遊んだので、Aqoursのカードを最初から最後まで集め続けたことになります。

スクフェス』について

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4. 街中に現れたAqours

 TVアニメ放送開始に合わせ、『ラブライブ!サンシャイン!!』の広告を見かける機会も増えました。

 当時日常的に通っていた渋谷では、放送開始直後に駅前のビルを『サンシャイン!!』のポスターや映像広告が埋め尽くしました。今でこそアニメ広告が出ることも多いですが、渋谷は若者の街とはいえ、はっきり言ってこのような機会は少なかったと思うので驚きました。まして、沼津の高校生にとってみればスクランブル交差点をジャックするなんてとんでもないことだろう、などと夢想していました。

渋谷スクランブル交差点に現れた『ラブライブ! サンシャイン!!』の映像広告 (2016. 7. 20)

 この頃から何度か見られるようになったのが、山手線のラッピング広告です。こちらは先代μ'sに引き続いての登場でした。何本もの編成がラッピングされて山手線を周回し、翌々年2018年の1月1日 (月・祝) には、山手線の終夜運転が1編成を除いてすべて『スクフェス』ラッピングで運行されるという驚きの事態となりました。この日誕生日のダイヤにとっては、思わぬプレゼントでしょうか。 (笑)

 そして、この年のAqoursの広告といえば忘れられないものがあります。年末、Aqours初めての『スクフェス』コラボシングルジングルベルがとまらないの発売を記念したメンバー別の全面広告トラック9台が、都内を走り回ったのです。学校帰りに秋葉原に立ち寄って見に行ったこともありますが、一番はクリスマス当日の12月25日 (日) にすべてのトラックを見ようと秋葉原を歩き回ったのが思い出深いです。今に至るまで、これほど濃厚にクリスマスをラブライブ! と、Aqoursとともに過ごしたのはこの時だけです。今では規制も厳しくなったので、このような企画を今後見ることは難しいと思います。

 

5. 聖地巡礼

伊豆・三津シーパラダイスにあったAqoursのアクスタ水槽

 大学が春休みに入った翌2017年2月20日 (月)、今度は初めて本格的な沼津への聖地巡礼旅行を企画しました。中高時代の友人と日帰り旅行に行くことにしており、行き先を伊豆方面に決めていました。新幹線から駿豆線に乗り換え、修善寺でそばを食べてから伊豆長岡駅へ戻り、バスで内浦へ向かいました。友人はアニメ好きでしたが少なくとも当時はラブライバーではなく、がっつり聖地巡礼というよりは、伊豆旅行の一環という性格が強かったように思います。

 この時訪問したのは、前年のシングル『恋になりたいAQUARIUM』のPVの舞台となった伊豆・三津シーパラダイスでした。私にとっては16年ぶりの訪問です。クラゲ水槽や屋外のペンギンプールが印象に残っています。誰かと共有することの楽しさを実感しました。

 かねてよりあいにくの天気でしたが、『みとしー』を観光中に大雨の予報が出てしまい、退散することにしました。元々は沼津駅から東海道線で東京へ帰るつもりだったため、バスで沼津駅へ向かうと、沼津駅発の電車は運転見合わせになっていました。この時に生きたのは半年前のバス旅の経験です。三島へ向かうバス路線の存在を認識していたので、それに乗って、結局帰りも三島から新幹線で戻ることになりました。迫るピンチの中で解決策を見つけ、ピンチを仲間と一緒に切り抜けたのは、まるで冒険のような体験でした。こんなトラブルも、旅のスパイスだと思います。

 ただし、この後も沼津へ行く度に「何かある」のが定番になりつつあります。そろそろ勘弁してほしいとも思います……。

 このとき初めて乗った伊豆箱根鉄道駿豆線は、直後の4月に発売された3rdシングルHAPPY PARTY TRAINのPVの舞台となりました。この曲では、元気いっぱいなものが多いこれまでのAqours楽曲と方向性が変わり、少し大人になった雰囲気を感じました。カップリング曲の『SKY JOURNEY』はクールで、歌詞がやや難解になったのを感じましたが、これがこの先のAqoursの活動と深く関わってくるのです。

 

6. 1st LoveLive!

 2月25日 (土)・26日 (日)、Aqours First LoveLive! ~Step! ZERO to ONE!!~』が開催されました。シリーズとしては1年以内の間隔であるものの、Aqours初めてのワンマンフルライブでした。

 私はといえば、このライブには足を運びませんでした。

 それは何故だったのでしょうか? 今思うと、もったいないような気がしてしまいます。μ'sのライブに応募しなかったのと理由は近いですが、ライブの現場という未知の世界への怖さは確かにありました。チケット代が当時の私の収入からすると安くはないものだったというのもあります。この翌年以降、アルバイト先での職務が増えて比較的安定した収入が見込めるようになりました。

 不安感を克服するためにも、また高いお金を払って満足度を最大化するためにも、最初は誰かに楽しみ方を教えてもらいたいと思っていました。「まずは動いてみること」。それを当時は教えだと認識しておらず、誰かが手を差し伸べてくれるのを待っていました。今思えば、あの時やるべきだったのは、誰かに声をかけることでした。反省はありますが、今はあの時よりは成長したと思っているので、後悔はしていません。

 いかなる時も、実際に行動に移したときが一歩目です。

 このときのライブでは、梨子役逢田梨香子さんが想いよひとつになれ』のピアノ演奏を実際に行いました。μ'sのライブとは違う、全く新しいライブ体験を提供したという意味では、インパクト抜群だったと思います。しかし、やる側の難易度もプレッシャーも尋常ではありません。DAY2ではイントロで演奏が止まってしまいました。当時現場にいなかった私は、やはりこのような試みは難しかったのではないかと思ってしまいました。しかし、その後のキャストの歩みを見ていて、ステージに全てをかけるキャストたちの想いに、だんだん心を寄せずにはいられなくなっていました。ちなみに、私に『スクフェス』を薦めた友人は、ピアノ演奏が行われることを事前に予想し、的中させていました。

 今一緒にラブライブ! シリーズを追いかけている数人の仲間とは、おおよそこの頃に合流しました。ただし、彼らはまだラブライブ! シリーズのファンではありませんでした (メンバーの1人は、μ's時代からのファン)。皆で一緒に応援ができるようになったのは、実際には2020年頃でした。

 次の1年で、私はいよいよ本物のAqoursと対面することになります。

 この1年間の内には「Perfect Dream Project」として新アプリの企画が発表され、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会が動き出しますが、早くも最新スクールアイドルでなくなったAqoursも、ここからが一番勢いのある時期となりました。

*1:当時「刺さる」という言葉は今ほど常用されていなかった気がする