普門寺飛優のひゅーまにずむ

好きなものについて不定期に語ります。

スクールアイドル歴史秘話

現役時代からスクールアイドルにとても詳しかった黒澤ダイヤさん (2016年夏)

 スクールアイドル。

 主に学校の部活動に所属し、学校のためや自分の目標のために、歌やダンス、その他様々な活動を通して自分を表現する存在です。

 今回は、スクールアイドルの歴史についてより深く知るため、静岡県沼津市にある『ぬまづAqours浦の星記念館』*1(以下、記念館) に取材しました。ここは内浦地区の歴史や、この場所にあった学校の歴史を保存する資料館ですが、市役所で働く傍ら、スクールアイドルの研究をしている職員により、スクールアイドルの歴史資料が集められたコーナーがあります。この展示を担当している黒澤館長代理にも話を聞きました。

 

 

はじめに

 最初にこの施設を知ったのは、東京・アキバドーム直下にある『スクールアイドル記念館』に立ち寄ったときに、記念館で行われていたスクールアイドル展のチラシが壁に貼ってあったのがきっかけです。チラシにあったQRコードを読み込んで、その展示の場所がかつての浦の星女学院だと知りました。この学校については知っていました。何を隠そう、私が高校を卒業して初めて本格的に「推した」スクールアイドルがAqoursだったのです。自分の学校にいたスクールアイドルに対しては「学校の一員として応援する」以上の感情がなかったのに、今まで知らなかった他校の、それもまもなく廃校になろうとする地方の学校のスクールアイドルにここまで熱を上げるなんてと自分でも驚きましたが、だからこそヒートアップしたところもあったと思います。私は一路沼津を目指しました。

 そこで、偶然黒澤さんにお目にかかったのです。実際、週末も家の手伝いであったり、はたまた全国の学校や図書館を飛び回ったりと多忙な日々をお過ごしとのことなので、記念館に行っても元トップスクールアイドルに会えるとは限りません。現場へのお問い合わせはご遠慮いただけると幸いです。

記念館は海辺の山の上にある

 

~2000年代: スクールアイドルの始まり

 スクールアイドルは、いつ誕生したのでしょうか。

 黒澤さんは「諸説ある」としながらも、1990年代半ばには、今のスクールアイドルと同じような活動をしていた女子生徒がいたようだ、と教えてくれました。

 東京・原宿にあった神宮音楽学で、バブル崩壊により廃校の危機に瀕した学校の人気を上げるべく、アイドル部を結成した生徒がいたという記録が残っています。ただし、インターネットのない時代のことで、写真や映像の記録はほとんど見つけられていないとのことでした。

 神宮音楽学校は、残念ながら1996年3月に閉校していますが、2021年に開校した結ヶ丘女子高等学校は、神宮音楽学校の校地・校舎を利用したものです。同校の立ち上げをアイドル部のリーダーだった葉月花さんが中心となって進めていたことから、スクールアイドルとしての経験が学校の創設に関係しているのではないか、と黒澤さんは考察していました。記念館も元は学校だったので、「神宮音楽学校を学校保存のロールモデルにしたい」と語っていました。

 おそらくそれ以前にも、歌やダンスを作って披露していた女子高生はいたはずです。ただ、ホームビデオの普及前になると、それらの記録は全くといっていいほど失われています。遥か昔は芸者という大人の世界のものだった歌や踊りが女生徒たちの憧れになったのは、宝塚歌劇団の存在が大きいといいます。その宝塚歌劇団阪急電鉄を経営していた小林一三こそ、「スクールアイドルの父」といっても過言ではないかもしれません。

 さて、「スクールアイドル」という言葉が最初に使われたのは、その阪急電鉄が走る神戸の街でした。

 2005年、神戸・北野にあった伝統ある進学校椿咲花女子高等学校のアイドル部がこのように名乗ったのが最初とされています。当時、大阪で勢力を強めていた滝桜女学院の芸能コースアイドル部との交流があり、その中で、アイドルになるための過程ではなく、今、自分たちの願いを叶えるためのアイドル活動のことを指して、こう呼ばれるようになりました。この「アイドル部」改め「スクールアイドル部」に、滝桜女学院で注目を集めていた候補生の滝沢アンズさんが移籍したことが話題を呼び、この言葉が流行語となりました。両校は翌年電撃的に併合し、現在の椿滝桜女学院となりました。気品と進学実績を併せ持つ神戸校舎、新しい実学プログラムを多数用意する大阪校舎と、それぞれの伝統を受け継ぎ、今では関西トップクラスの人気女子校となりました。

椿咲花女子高校 (現・椿滝桜女学院神戸校舎)

 それまでバラバラに行われていた女子高生たちのアイドル活動が「スクールアイドル」という名前を持ったこと、そしてインターネット時代の到来によって、ブログや掲示板、少し経つと動画やSNSを通して活動を全世界に発信できるようになり、スクールアイドルの活動は一気に全国に広がりを見せました。

 この頃のスクールアイドルを含むアイドルの様々な活躍を集めた『伝説のアイドル伝説』という映像作品の存在が知られています。ファンの間では「伝伝伝」の通称で知られる希少な映像作品で、黒澤さんもまだ現物を見たことがないそうです。

 

2011: ラブライブ! 始動

 そんなスクールアイドルの日本一を決めるステージが、2011年に始まりました。第1回ラブライブ! は、同年に起きた東日本大震災の復興支援の名目も兼ねて行われ、優勝したA-RISEを始め、多種多様なスクールアイドルが競い合いました。こうした中で、今でも語り継がれる伝説のスクールアイドル、μ'sが誕生します。

 μ'sの特徴として、9人という当時としては大人数のグループであったこと、メンバーの多くが元々芸能活動に興味が無かったことなどが挙げられます。そして、先に挙げたようなスクールアイドルの源流とも共通するところですが、μ'sもまた、東京・神田の音ノ木坂学院の廃校危機のさなかに生まれたグループです。この廃校は回避され、「普通の女の子たちが廃校を阻止した」と話題になりました。

 これにより、それまでごく一部の人が愛好していただけだったスクールアイドルが、「μ's旋風」によって全国で多くの衆目に触れることになりました。当時の学校の教室は、μ'sの名を聞かない日がないほどでした。当時中学1年生だった黒澤さんも同じで、「家でも妹とμ'sごっこをしていた」と当時を振り返っていました。後述する通り、私たちもよく知っている妹さんです。

 第2回ラブライブ! の優勝チームとなったμ'sは、事前に決めていた通り1年限りで解散します。黒澤さんもその時は涙を抑えられなかったそうですが、推しの絢瀬絵里さんがこの時で卒業だったことや、μ'sが描いた「限られた時間の中で輝く」というスクールアイドル像に共感して、μ'sを笑顔で送り出すことを決めたそうです。黒澤さんもその一人ですが、この言葉に触発されてスクールアイドルを始める人は、今も数多くいます。「今でもわたくしたちにとってμ'sは太陽のような存在なのです」と、遠くを見るような目で語っていました。

 

2016: ラブライブ! 過熱の時代

 μ'sが駆け抜けた夢を追いかけて、スクールアイドルの数は年々増加の一途をたどりました。大会がずっと規程に掲げてきた「未発表のオリジナル曲」を制作するため、初心者向けの作曲指南本がベストセラーになりました。

 黒澤館長代理こと、黒澤ダイヤさんが活動していた浦の星女学院Aqoursも、そのうちの一つです。先に挙げた3校と同じく、統廃合に向けて進みつつあった学校を守るべく名乗りを上げたグループでした。Aqoursもまた、第12回ラブライブ! の優勝校です。決勝で披露した『WATER BLUE NEW WORLD』は、スクールアイドルの何万、何十万という楽曲の中で、今でも珠玉の名曲の一つに数えられていますね。大会の他にも、地元・沼津のお祭りや、北海道・函館で活動していたSaint Snow (第11回大会本選出場) との合同クリスマスライブなど、幅広く活動していました。優勝の翌年、統合先となった静真高等学校でも健闘し、優勝こそしませんでしたが大会に「爪痕」を残しました。

私立静真高等学校

 Aqoursメンバーの今を見ると、東京2020オリンピック高飛び込み日本代表の渡辺曜選手を筆頭に、現在もアーティストとして活躍するダイヤさんの妹・黒澤ルビィさん、「堕天使系LTuber」としての活動の傍ら、総合デザイナーとしても活動を始め、7月には世界観の監修を務めたTVアニメの放送も決まっているという、津島善子さんなど、今をときめく大スターばかりです。黒澤さんは「わたくしたちにとってAqoursは現在進行形なのです」と語ります。かつて優勝旗に刻まれたAqoursの名前は、今は小原鞠莉さんの手によってかつての学校の校舎に付けられています*2。そこでこうして沼津やスクールアイドルに関わる仕事をしていることや、いつか黒澤家の当主になったときに、この海辺の町を笑顔でいっぱいの場所にすることは、黒澤さんなりの「Aqours」の活動なのだそうです。

Aqoursと沼津を覚えてくださった方は、おかげさまでたくさんいらっしゃいます。ですが、裏を返せば『沼津のことはそれしか知らない』という方も大勢なのです。沼津の良いところをもっと知っていただくために、(高海) 千歌さんも (桜内) 梨子さんも頑張ってくださっていますわ」

 Aqoursがそんな華々しい活躍をした時代でしたが、この頃、ラブライブ! の大会には様々な弊害が生じ始めていました。第12回大会の東海予選で、Aqours『MIRACLE WAVE』を歌ったとき、リーダーの高海千歌さんがステージ上でロンダートとバック転のコンビネーションを披露して、スクールアイドル界に衝撃を与えました。しかし、この技を模倣して怪我をするスクールアイドルが相次いだこともあり、次の第13回からは「体操技などの過度に危険なパフォーマンス」は禁止されてしまいました。既にトップスクールアイドルのパフォーマンスは技術面では飽和しており、「勝利の方程式」のようなものも共有されつつありました。一方で、ラブライブ! にエントリーするチームは第10回の時点で7,236組もあり、単純計算で一校に一組、あるいは特例を使って複数チームエントリーする学校もあるほどでした。その多くがメンバー集めや曲作りが間に合わずに棄権する状態になっており、大会の存在は、優勝から遠い学校にとっては、むしろモチベーション低下に繋がっていました。また、Aqoursの優勝という「大番狂わせ」はあったものの、人口の少ない地域や生徒数の少ない学校が不利なことは依然変わらず、不公平感も増大していました。

 Aqoursの皆さんにとっては不本意なことでしょうが、この時代はラブライブ! の光と影が浮かび上がった時代でした。

 

2019: 新たな潮流

 こうした状況に、ラブライブ! 運営事務局も手をこまねいていたわけではありません。スクールアイドル文化全体の活性化のため、様々に検討を重ねてきました。それまでにも、大会ごとにルールの変更が行われてきましたが、2018年には過去最大の方針転換が決まりました。スクールアイドルの大会以外での活動機会を増やすことが重要だという観点から、初回から年2回開催が基本となっていたラブライブ! は、2019年度の第17回大会から、年度末の1回のみの開催に変更されました。各種メディアでは、ラブライブ! の衰退か、と報道されたこともありましたが、教育と地域振興の両方にとってプラスになるべくなされた変更だったのです。予選の方式もこのときから大規模に改められ、地域による有利不利が生まれにくいオンライン方式が積極的に採用されるようになりました。

 また、長年使われてきたアキバドームに代わり、東京2020オリンピック終了後の2021年度から、新たな神宮競技場を決勝会場とすることは、この時点で既に決まっていたようです。大会の回数が減る分、新しくより大きな会場を用意して大会を盛り上げようという試みです。

 その2019年には、スクールアイドル文化の転換期を意識させる催しが開かれました。東京・有明にある虹ヶ咲学園のスクールアイドル同好会が主催した『スクールアイドルフェスティバル』です。夏の一度目は地域を丸ごと、秋の二度目は臨海部の5つの学校をまたいで、合同ライブが開催されると同時に、スクールアイドルが考案したアトラクションが数多く設置され、大いに賑わいました。その様子は全世界に配信され、国際的にもスクールアイドルの知名度が急上昇しました。また、参加校がこのイベントを通して人気を集め、第17回ラブライブ! 東京大会に揃って進出したことで、既存のラブライブ! ファンからの注目も浴びました。

 「スクールアイドルフェスティバル」の名は全国に知れ渡り、全国で類似のイベントが開催されるようになりました。“本家” が結果的にそうなったように、新たなスクールアイドルを発掘するイベントとして位置づけられることが多く、毎年春に開かれている『代々木スクールアイドルフェス』では、当時新設校だった結ヶ丘の “クーカー” (現・Liella! メンバー) や、まだ中学3年生だったウィーン・マルガレーテさんといった実力ある新人を次々に見出しました。

 しかし、それらは「フェスティバル」の本質的なところではないと、黒澤さんは熱く語ります。

「だって、主催したニジガク (=虹ヶ咲学園、または同スクールアイドル同好会のこと) はあの年のラブライブ! に出ていなかったではありませんか」

 あれほど世界的に有名になり、東京ガーデンシアターという異例の大会場で単独ライブを開催したニジガクですが、あえてラブライブ! を目指さなかったからこそ、自由な発想で新しいイベントを創ることができたのかもしれません。”優木せつ菜” さんや鐘嵐珠さんといった強豪と戦えなかった同時代のスクールアイドルにとっては残念かもしれませんが、それがラブライブ! が望んだ、スクールアイドルのあるべき姿でもあったといえるでしょう。

 余談ですが、当時同好会をまとめていたマネージャーで、密かな人気を集めていた作曲家の高咲侑さんは、スクールアイドルと出会ったことで音楽に興味を持ち、普通科から音楽科に転科したのだそうです。実はこの音楽科は、虹ヶ咲学園開校当時、ちょうど入れ替わりで閉校した神宮音楽学校の教師陣を集めて開設されたものです。

 

2021: 神宮競技場

 新たな舞台、神宮競技場での最初の開催となった第19回大会を制したのはSunny Passionでした。神津島という、久々の地方勢の優勝です。2人という小所帯であり、遠く離れた東京 (言うまでもありませんが、神津島も東京都です) で予選を勝ち抜いた実力が注目されました。

 そのSunny Passionが、次期優勝候補として挙げたのが、結ヶ丘女子高等学校のLiella! でした。先述した通り、神宮音楽学校の卒業生が同校跡地に設立した学校で、まるで先祖返りのようにこの場所に人気スクールアイドルが生まれました。設立を主導した葉月花さんの娘・恋さんもメンバーです。残念ながら花さんは2019年に急逝し、夢だった学校や娘の活躍を見ることは叶わなかったのだそうです。

 そのLiella! は、つい先日の第20回大会で、本当に優勝を果たしました。新設校であるため、部としての伝統もノウハウもない中で、まさに2年かけて積み上げてきたものが実を結んだということです。

 一般的に、代替わりというものはスクールアイドルにとって難しい課題です。チームを支えてきた3年生が抜けた分を補いつつ、未熟な1年生を育てなければなりません。新メンバーが入ったことで部としてまとまることができず、解散に追い込まれたグループも後を絶ちません。

 その中にあって、Liella! は2期生が入って、前年より深みが増したと思います。曲作りもダンスも歌も前以上に強化されただけでなく、2期生の持ち味もよく生かされています。2期生の鬼塚夏美さんが運営する『オニナッツチャンネル』は、(初期こそ炎上商法に走っていましたが) Liella! の日常や練習風景を紹介しています。動画を通して素顔を見せることで、アイドルとしての魅力を高めていると同時に、彼女たちの歌う歌が、より私たちの心に響くものになっているように感じます。1年目のLiella! には、はっきり言って発信下手なところを感じましたが、それを覆した立役者が鬼塚さんです。

 

2023: これからのラブライブ!

 間もなく20年 (実際にはそれ以上) の歴史を刻もうとしているスクールアイドル。今最も注目されているのは、やはりLiella! のこれからではないでしょうか。ラブライブ! 優勝の栄冠を頂き、在籍校とともに活動も3年目に入ります。ところが、ラブライブ! には「連覇が不可能」というジンクスがあります。東京のスクールアイドル記念館で実物や写真が見られる、過去20回の優勝旗は、すべて異なる学校に与えられています。それは先述したように3年生の卒業や、代替わりの難しさがあるからです。しかし、Liella! は1・2年生のみのチームで優勝を果たしたため、卒業生もおらず、優勝してなお成長中という異例のグループです。これは「二度目の奇跡」を期待してしまってもよいのではないでしょうか?

 Liella! といえば、在籍校である結ヶ丘女子にウィーン・マルガレーテさんが転入したという噂があります。ウィーンさんはその名の通り (?) オーストリアからの留学生で、ソロスクールアイドルとして活躍しており、一部では前年の優勝チーム・Sunny Passionの予選敗退の原因になったともされています。ウィーンさんがLiella! に入るかどうかということについては、ネット上では賛否両論のようです。あのパフォーマンス能力がLiella! に加われば連覇間違いなしという声がある一方で、東京予選大会における事前PRの内容や、司会者への抗議行動が物議を醸しており、むしろ悪影響だと言う人もいます。

 黒澤さんは、「個別の現役スクールアイドルに対する意見表明は差し控える」としながらも、「海外でのスクールアイドルの人気は年々高まりを見せていますし、日本国内でも国際色豊かなグループが活躍することは喜ばしいことです」と語っていました。事実、世界各国でもスクールアイドルとして活動できる環境は整ってきています。例えば英国では、今年からヨーロッパで初めての、ラブライブ! のような全国規模のスクールアイドルコンテストが始まります。かつて日本から1人のスクールアイドルが短期留学したことをきっかけにスクールアイドルブームが起きたとも言われています。いずれ、言葉の壁を越えてパフォーマンスを競い合い讃え合う、スクールアイドルの世界大会ができないとも限りません。

 最後に、黒澤さんにも、今注目しているスクールアイドルを聞きました。黒澤さんは、石川県金沢市蓮ノ空女学院を挙げました。全寮制の学校で、以前から校内で複数・少人数のユニットを組んで活動しているスクールアイドルクラブがあるのですが、現在新3年生がいなかったり、新2年生でも活動できていないメンバーがいたりするなど、ユニットを組める状況が整っていないのだそうです。沼津と違って遠いので、配信ライブが中心になるとは思いますが、新入生が入る頃になったら、無事勢いを取り戻せるように私も応援してみたいと思います。

 スクールアイドルについてもっと知りたくて突然訪問した沼津で、また気になるスクールアイドルが増えてしまいました。今年も目が離せません。

 

☆4月1日はエイプリルフールです。

*1:正式名称は「沼津市立長井崎資料館」。株式会社ホテルオハラが命名権を取得

*2:2年目以降も含めた歴代Aqoursメンバー全てに許可を取ったが、黒澤さんに連絡が来たのは最後だったそうだ