2・3話のQU4RTZ、4話のDiverDivaと、ユニット結成が2期前半のストーリーの主要な流れになってきました。現在同好会にいるメンバーで言うと、残りはA・ZU・NAです。
変わっていく関係性、生まれた新しいライバル関係
「大好き」を詰め込んだテーマパークユニットは、一人の少女の妄想する物語から始まりました。これは夢なのか、現実なのか……。
1. 変幻自在、自由なシナリオ
物語が大好きで、部活の先輩たちを登場人物にした物語 (しかも百合妄想) を勝手に作った上にそれを当事者たちにぶつけてしまうしずく。
他の女の子とデート (?) に出かける侑を尾行してしまう歩夢。
尾行していたことを隠すためとはいえ、ヒーローショーに部活の同期を誘って来るせつ菜。
5話に登場するメンバーたちは、あたかもSSの中のような言動をしています。これだけ見ていると本当に公式が制作したアニメなのか疑わしくなってしまうほどです。しかし、そこに込められた想いこそ、もしかすると5話の神髄なのかもしれません。
スクールアイドルとは、あるいは『ラブライブ!』とは、型にはまらず自由なものだと、劇中でもしずくが言っています。公式だからと言ってこのようなシナリオを書いてはいけないとは決められていません。作品を制作されている方の脳内には、我々の妄想など比較にならないほどのキャラに対する知見とイメージが集積されているはずです。その中で形になるのは、前後の話の流れや、尺の長さ、その他諸々の要請に合致するものということになります。その中で、惜しげもなくファンの持つ3人のイメージに重なるものを出してくれたことには感謝しかありません。言ってしまえばステレオタイプなのですが、「動くニジガクメンバーを見たい」という願望の中には、そういったものも含まれているはずです。
制作陣による「大好き」が詰まった内容は、虹ヶ咲に関するものばかりではありません。スクールアイドル記念館の展示として、過去の様々なスクールアイドルに関する史料が描かれました。特に、『ラブライブ!』優勝旗は、『ラブライブ!』や『サンシャイン!!』に登場したものと同じデザインでした。1期3話で『ラブライブ!』に出ないことを決めてからというもの、距離を置いてきた存在ですが、『ラブライブ!』や、その聖地であるドーム*1が、『アニガサキ』でもついに描かれたのです。私たちが妄想していたものが的確に届けられ、ただ驚いてしまいました。
2. 傍観者か、それとも当事者か?
いわゆる「百合」というものは、観測者が介入しないことが大前提となっています。つまり、百合を語るものは、傍観者に徹しなければなりません。この「傍観」という点において、しずくの「百合妄想」は、数奇な経緯を辿ることになりました。
『美女と野獣』でいうと、歩夢とせつ菜のどちらが野獣かで悩んでいたしずくは、そのことを侑に相談しました。しずくと仲良く連れ合って歩く侑を目撃した歩夢は侑の尾行を始めますが、なんとそこにせつ菜も出現します。しずくが妄想に明け暮れていた歩夢とせつ菜という「並々ならぬスター性を感じる」二人は、電車の隣の号車に乗り込んでいました。この時点ではどちらかというとせつ菜を連れ出した歩夢の方が「野獣」っぽさがあります。正解は知らぬ間に、すぐそばにあったのかもしれません。
ところが歩夢たちの尾行はバレてしまい、4人で遊園地や、スクールアイドル記念館を楽しむことになります。そうして楽しんでいた侑ですが、たまたまスクールアイドル記念館に来ていた嵐珠に痛いところを衝かれてしまいます*2。「周りに自分の夢を重ね合わせているだけでは何も生み出せない」。ミアが撮っていた侑の曲『NEO SKY, NEO MAP!』を聴いた上での反応です。とはいえ、そうして「重ね合わせ」てきたからこそ自分を見つけられたのが侑です。実力が未熟なのは嵐珠の言う通りなので、侑は嵐珠の言うことも否定せず、「気にかけてくれるのならもう少し待っていてほしい」と強気の返事をするのでした。
この言葉に思いもよらないショックを受けたのは、しずくでした。自分の夢 (百合妄想) を周りに重ね合わせていたしずくが侑を誘ったわけは、侑が「スクールアイドルたちを見ている存在」、つまり自分と同じ観測者の側の人間だと思ったからだと考えられます。しかし、侑はもうただの傍観者ではなく、自分の夢に向かって進み始めています。直接的にそれを批判したのは嵐珠ですが、侑は自分自身の態度で、自分がその側にいないことをはっきりさせてしまったのです。
侑という人は、隣にいるようでいて、気づけば一歩前に進んでいるタイプの人物です。1期でも人知れず自分の夢を見つけ、歩夢に置いてけぼりの感覚を味わわせました。しずくがショックを受けたのは、侑が進んでいて自分が進んでいないことに対してとも取れます。1期の歩夢の時もそうでしたが、ここで手を取って引っ張ってくれるのがせつ菜です。それで何かを生み出したいと思うなら、「貫くのみ」ということです。
3. "野獣"と化したせつ菜
そもそも演劇というものは、虚構に様々な現実を重ね合わせて作り出されるものです。その意味で、嵐珠の批判とは正反対のところにあります。「現実」に即して、しずく版『美女と野獣』を見ていきましょう。
野獣*3は元々王子でしたが、魔女の呪いにかけられて野獣の姿になりました。ここまではしずくが考えた筋書きだと思いますが、ここから2人はアドリブで話を進めます。
"少女"歩夢は王子の姿に戻りたがる"野獣"せつ菜に「野獣さんのままでいい」と言います。「ありのままの姿で今できることをする」というメッセージが歩夢の中に湧いて出てきたのは、おそらく侑のことが念頭にあるからだと思います。同好会の活動を捨てなければ夢に辿り着けないということはない、というメッセージの中には、後の2人きりの観覧車での言葉を考えれば、自分が支えるから、という意味も込められていると考えられます。
ヒーローものが大好きなせつ菜は、野獣を「力」と捉えました。それを、悪を倒し、人々のために使うことを決意します。野獣の力で野獣を倒すという、いわば『仮面ライダー』的ヒーロー観ですね。「野獣」ひとつとっても、捉え方はこうも三者三様です。
それぞれの解釈で物語をぐいぐい進行させていく歩夢とせつ菜に影響され、とうとうしずくも舞台に立つ決心をします。役どころはせつ菜を野獣に変えた魔女。魔女の口からは現れた「たくさんの野獣*4」が元人間であることが語られ、せつ菜は歩夢のおかげで優しい心を持つことができたとも告げられます。せつ菜と歩夢は、そんな人々を救うために歌おう、と"魔女"しずくに誘い掛けます。
「私たちがここにいるのは、そもそも、あなたの魔法がきっかけなんだもの」という歩夢の台詞ですが、"現実"でも同じことを言った人がいます。1期3話の侑の「こんなに好きにさせたのはせつ菜ちゃんだよ」です。スクールアイドルという魔法が、少女たちの姿も、運命も変えていったのです。
ところで、歩夢の「気になること」は「たくさんの野獣」によってスルー (歩夢にとって、恥ずかしくて言えないことだったのだろう) されてしまいましたが、私にも「気になること」があります。「魔法」がスクールアイドルのことだとしたら、野獣への「呪いによる、解けない変身」は、せつ菜自身に起こってしまったことなのではないかということです。事実、ラストシーンでせつ菜のバレッタを外し忘れた菜々が、栞子に目撃されてしまいます。次回は変貌しつつある「中川菜々」に大注目です!