普門寺飛優のひゅーまにずむ

好きなものについて不定期に語ります。

国に帰るより、夢へと還れ。 ~ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会第2期感想週報⑨『The Sky I Can't Reach』~

言葉にすれば消えてしまう願い
(『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第2期第9話『The Sky I Can't Reach』より/
©2022 プロジェクトラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会/配信URL:https://www.youtube.com/watch?v=B-i8-mygwps)

 2期の山場である第2回SIFが、8話にしてもう終わってしまいました。

届いてほしかった侑の気持ち

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 同好会に加入していなかったメンバーは残り2名ですが、今回いっぺんに加入してしまいました。あまりにも駆け足だと思うところですが、2話の感想で「波長が合いそう」と指摘した通り、2人同時なのには理由がありました。

 

1. 璃奈とミアとハンバーガー ~かのんとの比較を添えて~

 璃奈とミアといえば、『スクスタ』以来の仲良し2人組です。今回のストーリーの前半は、22章を踏まえたものとなっていました。それまでは愛と璃奈がずっと二個一に描かれてきていますが、愛から璃奈、璃奈からミア、それ以前には美里から愛というのが、手を差し伸べ、輝かせてきた一連の流れになっています。かつての愛が人見知りだったのと同じように、璃奈が動かない表情筋の中で、ミアが血統への名声の中で怯えながら生きてきたという共通点があります。璃奈には愛よりも少し強引なところがある気もしますが、その表情が逆に幸いしてマイルドな雰囲気になっているように感じます。根詰めていたミアにハンバーガーを用意して、2人で食べる流れは華麗です。

 ところで、ずっと歌が好きで、歌いたい思いを抱えながら、歌えなかったスクールアイドルをもう一人知っていますね。Liella! の澁谷かのんです。流れを見ていると共通している部分も多いので、ここでは簡単に比較してみることにします。

もうひとつの、好きに向き合う回

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 周りの人々を励ます太陽のような存在だったかのんは、自分の抱いていた不安や恐れに気づけず、ある日突然に爆発してしまいました。自分を励ませる自分自身は心の中に持っていなかったのです*1かのん自身に勇気をくれるかのんの誕生を後押しするのは、そんなかのんを一番近くでずっと見てきた母のような存在、つまりは千砂都である必要がありました*2

 一方で、ミアが素の自分でいる選択肢を奪ったのは、テイラー家の新星に向けて注がれる熱視線でした。実は真面目なミアは、求められたら応えるほかなく、応えるだけの力 (もちろん、勇気も含めて) を持っていなかった結果、歌えなくなりました。補講に突然現れたり抜け出したり、自由に振る舞おうと突っ張っていたのは、その真面目さの反動だと思います。この場合、素のミアに手を差し伸べられるのは、ミアをよく知っている人でも、まして自分自身でもなく、ミア・テイラーの血統を気にしない人でした。ハンバーガーが好きとか、人と接するのが少し苦手とか、あるいは一緒にいて楽しいくらいの人でよく、新しい世界に住む王子様であればよいのです。それが璃奈でした。

 そのきっかけは嵐珠だったのですが、自分をありのままの自分として迎えてくれる人と出会えたということに、結果的に別天地に来た意味があったようです。

 

2. スクールアイドル: 夢のための自由

 8話で、ミアは侑に対して重要なことを指摘していました。スクールアイドルは自分の全てを表現するものなのに対して、作曲家はそうではないということです。誰かの曲を作るためには、求められたことに忠実に応えるというルールがあるとのことです。ミア自身、作曲家になったのは家柄への名声に応えるためだったので、それを体現した生き方でもあり、作曲家のルールというのは自分の生きられる最後の砦でした。しかし、それが逆に枷になってしまう時が来ました。

 スクールアイドルは自分の全てを表現するために、枠にとらわれず、自由である存在です。侑はスクールアイドルではないまま、そのように自分を表現することを達成しました。それは、侑の夢が、スクールアイドルへの憧れから生まれたからでした。自分を制限している枷から解放されるために帰る場所こそが、「夢」です。

 ミアが救いたかった嵐珠は、枷の中でもがいていました。“誰にも頼らずに自分だけの大好きを表現するソロアイドル”が、実際には仲間の力で高め合っていたことを知って、本当は仲良くなりたかった自分を押し殺して、自分の力を見せつけることを決意しました。QU4RTZにしても、侑にしても、同好会が「同好会流」を見せれば見せるほど、嵐珠が可能性を感じたソロアイドルの形からは離れていって、嵐珠はますます本当の気持ちを閉ざすしかなくなりました。

 大切なのは型ではありません。利害が一致しているだけだと思っていたミアが、スクールアイドルとして自分の枷を外すのを見せて初めて、そのことが嵐珠に伝わったのだとしたら、ミアはスクールアイドルになるべくしてなったと言うべきでしょう。今は、型や枠の代わりに「場所」たる同好会があります。すべてが許される場所で、メンバーたちは互いに別々の方向を目指したり、時に同じ方向を向いたりします。同じ方向を向いたときには共にステージに上がってもいいですし、今回代わる代わるミアの後方支援をしていたように、支えてもいいのです。一緒に活動することで同じ方向を向いている確信が得られたなら、今回の栞子のように幼馴染の正念場にあたり、かつて穂乃果や千歌やかのんがそうしたように、たった一人で幼馴染のもとに駆け付けるのではなく、同じ想いの仲間全員で臨むこともできます。

 

3. 夢の終わり、蒔かれて咲いた夢

 嵐珠はずば抜けた才能を持つと同時に、人と接するのが致命的に苦手でした。人を信じていないのは、誰かに信頼される自分を信じていないことの裏返しでした。嵐珠の周りの人々は、「普通に」絆を結び、「普通に」協力し合い、嵐珠にできないことを増やし続けていました。人を傷つけまいとすれば、やりたいことどころか何もすることができず、唯一可能だったのが、絶対的な女王になることでした。嵐珠はそのために全てを賭け、勝つか負けるかの勝負に出ました。そして、私から見て負けていたとは思いませんが、少なくとも自分では侑たちに負けたと判断しました。そのきっかけが嵐珠自身であることを認めようともせず、嵐珠は、全てを失ったと思いました。

 何か忘れてはいないでしょうか。嵐珠のステージの目の前でニジガク号が止まってしまい、お構いなしに嵐珠が歌い出したとき、なぜはんぺんは現れた*3のでしょうか。自分が間違っていたことが証明されたら、夢はそれで終わりなのでしょうか?

 1期3話でそうであったように、はんぺんは夢の使者です。はんぺんが現れたのは、ニジガク号が動いたのは、嵐珠が、そして嵐珠の追いかけた夢が、もはやニジガクの一員として迎え入れられていたからです。同好会に至っては最初から嵐珠の夢を可能にする場所だったのに、それに気づかず一方的にはねのけていたのは嵐珠のほうです。

 それだけではありません。確かにミアは嵐珠のパフォーマンスを利用して作曲という自分の存在意義に固執しようとしたという歪な関係ではありましたが、それでも嵐珠はミアにも夢を見せていたことに間違いはありません。だからこそ自分の夢を再び口にできたとき、嵐珠に必要なのも同じことだと気づくことができたのです。

 今では嵐珠以外も嵐珠の夢に影響されて動き出しています。せつ菜にとって、侑を惚れさせた以上自分が消えること自体が「大好きの否定」だったように、しずくにとって素の自分を好きでいてくれるかすみがいながら自分を嫌うことが無責任だったように、嵐珠にも責任を取るときがきました。

 結局のところ、嵐珠を救ったのは嵐珠自身が蒔いた夢だったということになります。虹が「咲く」とは、こういうことなのかもしれません。

 

4. MV

 ここまで考察的なことを書いてきましたが、これには触れておかなければなりません。

 めちゃくちゃかっこよかったですね。他のメンバーのダンス映像と打って変わって、アーティストのMV風のお洒落映像でした。ミアが選んだ言葉を1つ1つ噛みしめるように字幕が入るのも良いですね*4

出だしからしてひと味違う
(『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第2期第9話『The Sky I Can't Reach』より/
©2022 プロジェクトラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会/配信URL:https://www.youtube.com/watch?v=B-i8-mygwps)

 話のサブタイトルが「I」を含むのに対して曲のタイトルが「we」を含むのも素敵です。誰かと重なることはないと思っていた嵐珠の夢も、ついに重なったということですから。

 

 まとめると、最初の項で述べたかのんとミアの差別化もそうですが、虹ヶ咲においては、誰かに与えたトキメキが返ってくるという形で自分の願いが叶うというのがポイントだと思います。

 それぞれの枠から解き放たれてミアと嵐珠は初めて人間同士としてぶつかることができるようになりました。「ライバルだけど、仲間!!」は2期のキャッチコピーですが、この関係は「ライバルだからこそ、仲間」といえるかもしれません。

 あと4話ですが、全員が同好会に加入し、最低限やるべき内容は終わりました。ここからは『アニガサキ』が独自に物語を紡ぐことになると思います。「自由のニジガク」、面目躍如です。

*1:某競馬ゲームにおける「自分と同名馬のサポカは使えない」状態

*2:岬なこさんはママではない

*3:前回は見落としたが、このとき船を動かしていたのははんぺん

*4:リスニングに頼らなくていいという純粋なメリットもある