普門寺飛優のひゅーまにずむ

好きなものについて不定期に語ります。

凡夫、滅びを前に ~ウルトラマンデッカー感想週報㉓『絶望の空』~

アガムスの記憶がすっ飛んだ!

carat8008.hateblo.jp

 

 バズド星人アガムス。あるときは天才科学者アサカゲ ユウイチロウ博士として、またあるときは我を失った復讐者として、そしてかつて (遠い未来の話ですが) は良き夫としての姿を、私たち視聴者に見せてきました。

 アガムスは、本当はどんな人物なのでしょうか。カナタは、そこにアガムスを救う鍵があると信じていました。

スフィアが起こした束の間の奇跡
 (『ウルトラマンデッカー』第23話『絶望の空』より/©円谷プロダクション/配信URL https://www.youtube.com/watch?v=N4cB4dXu-nQ)

 

 

1. 本当のアガムス

 アガムスは、実際にはショックで記憶を失っていただけのようでした。あるいは、記憶を蝕んでいたスフィアの影響が薄れたことで昔の記憶だけが蘇ったのかもしれません。それによって、むしろ良いこともありました。アガムスは、妻レリアの死やそれから自分のしたことを思い出せなくなったと同時に、「絶望」も忘れていたのです。その結果、復讐に駆られる前の、元のアガムスに戻っていました。実は、GUTS-SELECTに反逆する直前にカナタに見せた顔が、本来のアガムスに最も近いものでした。あのときは計画を全うできるのを目前にして、レリアのために報いられると、精神が安定していたのでしょう。

 アガムスは元々、勇敢な地球人のことを高く評価していました。レリアも同じで、いつか地球に行きたいと願い続けていました。アガムスは、日本語が母語ではない外国人のようにゆっくり、丁寧な言葉で喋るのも印象的です。もしかすると、ウルトラの「お約束」で日本語を話しているだけではなく、本当に地球に行くつもりで勉強したのかもしれません*1

 悲劇が起こる前のアガムスが、これほどまでに「普通の人」だったことには、ショックを受けざるを得ません。もうそこにはない善良さというのは、見ていてとても辛いものです。

 

2. 終焉の足音

 記憶喪失のアガムスとの面会にあたって、刺激しないように釘を刺されるカナタ。最初に「食べ物はお口に合いますか」と優しい心遣いから入るなど、カナタは相当うまくやっていたと思いますが、不可抗力によってアガムスは「刺激」されてしまいました。面会中を襲撃したスフィアによって、アガムスは「絶望」を思い出してしまったのです。

 守れなかった悔しさを、守るとか救うということが、妻を奪ったこの世界にあってなるものかなどという自棄にも近い感情を、アガムスは改めて口にし、再度テラフェイザーを呼び出しました。

 テラフェイザーが刺激したことで、スフィアの力もますます強くなっていました。一度に3体のスフィア合成獣を出して、ウルトラマンデッカーを敗退寸前まで追い込みます。そして時空の狭間からは「親玉」マザースフィアザウルスが現れ、宇宙をパトロールしていたウルトラマントリガーと激突しました。

 最終決戦の行く末ももちろん気になりますが、このままでは今度こそ完全にアガムスがスフィアに取り込まれてしまいます。アガムスにとっての救いとは、レリアの死を受け入れること、辛いことを辛いと心から言えることに他ならないと思います。カナタにそれができるのでしょうか。

 

3. 天才でなくても

 アガムスと刺し違えようとしたデッカーを止め、激励したころから、カナタは少しずつ自分の思いを言葉にできるようになってきました。デッカーと約束してから、それがカナタの大きな悩みとなってきましたが、以前のブログでそれは成長の痛みだと書きました。まさに、それが結実して、アガムスがアサカゲとしてカナタにかけた言葉に、ついに答えることができました。

 「当てのない善意は人を傷つける」という言葉は、自らの善意の無力さに打ちひしがれ、なおも希望を捨てない戦士たちの存在にどんどん自尊心を押しつぶされていたアガムスの心の叫びでした。せめて無垢なカナタだけは、そういう存在であってほしくないと願いましたが、カナタは前へ進むことができてしまいました。追い詰められたアガムスは、当初、罪はないと言っていたカナタのことも消そうとしました。そんなアガムスのことであっても、苦しんでいれば手を差し伸べられない、止まっていることはできないという言葉をアガムス本人に贈りました。そして、本当は「守りたいと思ったものは、全部守りたい」という想いが同じだったことを確かめ合ったのです。

 イチカリュウモンに対して、カナタは何の天才なのかということを以前から気にしていました。ここまで見てきて、「天才ではない」というのも一つの正解なのではないかと思います。特別なものは持っていなくても、人一倍の強い気持ちを持って、常に誰かのために、かけがえのない今を懸命に生き抜き、誰かの気持ちにも自分の気持ちにも向き合い続けてきた人です。何をして生きているかということは、生まれ持ったものよりも尊いものなのです。この夢のような対話のひとときは、それが実を結んだ結果です。

 ともに普通の人だったカナタとアガムス。片や、希望を捨てないウルトラマン、片や、絶望に呑み込まれた反逆者となりました。視聴者の私にも、アガムスは死ぬしかないのかなと思えてしまいます。今際に救いがあるか、ないかということではないかと。しかし、カナタは希望を捨てていません。それこそが、年明け、ラスト2話の最終決戦を見守るモチベーションになります。

 最終決戦を前に総集編を挟みます。感想週報の再開も年明け1月14日 (土) 以降を予定しています。

 来年も皆様が、世界に希望を持ち続けられますように。それでは皆様、良いお年をお迎えください。

*1:地球での日本語の通用ぶりについては目を瞑ることとする。デッカーも日本語話者である