私たちの心の故郷もここにある
夏祭りを終え、すっかり「燃え尽きて」しまったヨハネ。最高に楽しかったライブを終えて、それで「宿題」を終わりにしようとするヨハネでしたが、そんなときライラプスが突然家出してしまいます。
今回私たちを待ち受けていたのは、ヨハネも知らなかったライラプスの感情、ある種人間と犬の「百合」的エピソードでした。
1. ヨハネにとってのライラプス
ここ数回、ヨハネとライラプスの間に距離があるように感じていました。それは、ひとえにヨハネが素直でいられなさすぎるからだと思っていました。しかし今回、それ以外の原因もいくつか浮かんできました。
一つには、ヨハネがずっと一緒にいたライラプスのことを実はよく知らなかったということがあると思います。
家を出て行ったライラプスを尾行したヨハネが見たものは、ヌマヅ中でヨハネに勝るとも劣らない数の困っている人を助けているライラプスの姿でした。しかも、対価を要求することもなく、純粋なボランティアとしてです。もちろん、人を助けてお駄賃を貰うことで社会との繋がりを築いていったヨハネのことを否定するわけではありませんが、こういう姿を見てしまうとライラプスよりもヨハネのほうがちっぽけに思えてしまいます。
リコとルビィは、ヨハネと一緒にライラプスを追う途中でライラプスを見失ってしまいました。手分けして捜索していると、仲間が、市民が3人に手を貸し始めました。いつの間にか街中を巻き込んだ大騒ぎになり、ダイヤ長官直々に出動 *1 する事態になってしまいました。
ヌマヅ女子たちの人望ももちろんありますが、ライラプス自身が「ヌマヅの宝」になっていたことも、この大騒ぎの理由として大きいと思います。
この捜索の途中、ヨハネはある場所に思い至ってダイヤの車を降りました。そこは、ヨハネとライラプスの出会いの場所でした。それは葬り去りたかった昔の記憶の中で、それでも忘れたくないいくつかのうちのひとつでした。
ヨハネは、ライラプスを家に連れて帰るにあたって、母と3つの約束をしています。
・思いやりを忘れないこと
・喧嘩しても仲直りすること
・辛いことがあっても笑顔を忘れないこと
「ウルトラ五つの誓い」的なやつですね。
一番目は、確実に今のヨハネの基盤になっていると思います。時に渋々だったり、年下に対しては当たりが強かったりはするものの、ヨハネは常に誰かのことを思って行動しています。二番目も、ハナマルとのすれ違いをしっかり乗り越えているので守れているでしょう。
三番目はどうでしょうか。これまでのヨハネの人生で一番辛かったことは、トカイでの失敗だと思いますが、あのときのヨハネはまだ他責的で、それを自分事として捉えていないきらいがありました。泣かなかったからいいということではなく、あのことでまだ泣けてすらいないのではないでしょうか。だとすると、これから辛いことがあったとき、試されることになりますが……。
ヨハネは、夢の中で幼い頃のことを回想しています。ライラプスに対して、「言葉を喋る可愛い妹になる」魔法をかけていました。後述しますが、このことはライラプスも覚えているようです。
ヨハネとライラプスに距離ができていた他の要因は、実はライラプス側にあると思います。
2. ライラプスにとってのヨハネ
ヨハネにとってライラプスが大切な存在であることは言うまでもありません*2。では、ライラプスにとってはどうでしょうか。
突然家を出て行ったライラプスは、気ままに人助けをしながら、ヨハネと出会った場所に赴き、ヨハネが出会いの記念日を覚えているか試していたのです。なんだかこれだけで、すれ違い中の恋人同士のようではありませんか?
ライラプスがまだ子犬 (子供の狼獣) だった頃にヨハネに拾われ、そのときにヨハネの母から与えられた使命がありました。ヨハネが独り立ちするまでヨハネを見守ることです。しかし、そんなライラプスには、ヨハネの成長を喜びながらも、心のどこかで昔のヨハネのままでいてほしいと思う気持ちがあるようです。となると、ライラプスしか話し相手がいなかった昔のヨハネと、そんなヨハネに心の拠り所を求めていたライラプスは共依存の関係にあったことになります。そういえば、仲間のところへよく出向くようになった最近のヨハネに対しては、昔を懐かしむような発言が増えた気がします。
思い出の場所でライラプスが発しようとした言葉は、(Aqoursに対応する) 8人の仲間たちがやってきたことで遮られてしまいました。
「ヨハネの魔法は、あのときからじゃない」
それが意味することは、1話の歌よりも前の魔法、つまり幼い頃、ヨハネとライラプスが2人きりだったときのことを指しています。
ヨハネがライラプスにかけた、ライラプスを家族にする魔法です。
ヨハネは、ライラプスが自分より先にいろいろなことを知って、未熟な自分を待っていてくれたことに感謝しています。その一方で、ヨハネは今、ライラプスを置いて先に進もうとしています。たくさんの友達ができて、新しい夢も見つかりそうで、そんなとき、せっかくライラプスが2人きりの時間を用意したというのに、ヨハネはライラプスを見つけたことを8人の友達に報告するというのです。
ヨハネは、妹であってほしいと望んだライラプスも、自分より長く生きていて、自分より先に社会の何たるかを知ったライラプスの「姉」性を少しずつ認めつつあり、ライラプスの知らなかった一面も受け入れようとしています。それに対して、ライラプスのほうがむしろ、変化を受け止めきれていないような気もします。ヨハネに「お母さんか!」と突っ込まれるライラプスですが、母親というものは子どもが成人しようが出世しようが、いつまでも子どもの幼かったころに重ね合わせてしまうものでもあります。
ラブライバーとしては既視感のある話です。『虹ヶ咲』1期の高咲侑と上原歩夢のことを思い出さないわけにはいかないからです。このままでは、あの2人のようにすれ違いは深刻化する一方だと思います。ライラプスは、度々「ヨハネはどうしたい?」と聞きますが、これに関しては「ライラプスはどうしたい?」ということも、聞いてみなければなりません。
最近は落ち着いているようですが、異変の話だって完全に無くなったわけではないと思います。ヨハネが歌で異変に立ち向かおうとしたのは、それが「心の音」を繋ぐ行為だからです。そして、マリは「心の音」を面には出さない「聞こえない気持ち」だと考察しています。実は、一番近くにずっといる相手の「聞こえない気持ち」も、わかっていないことが多いものです。
3. 決別
最終的にどんな結論を描くのかわかりませんが、このままいけばヨハネとライラプスは別れる運命にあります。別れを受け入れて新たな人生へと旅立っても、その運命に抗って一緒にいられる道を探ってもドラマになるのですが、少なくとも原典である『ラブライブ! サンシャイン!!』は、奮闘の末に別れ方を見つける物語だったと思います。この項では、『幻日のヨハネ』とは直接関係のない話をします。
スクールアイドルの物語は、大人と子どものはざまにあって、そしてどの作品でも「いま」を大切に生きることを描いてきました。そうでありながら、『サンシャイン!!』は最終的に「大人寄り」の結論になった作品という感じがします。「いま」を積み上げてきた日々、出会いや努力や悔しさが心の中にある限り、形がなくなっても、別々の場所に行っても大丈夫だというメッセージは、これから新しい場所へ向かおうとする人々の背中を押します。
それと対照的なのが『虹ヶ咲』です。これからもずっとしたいことをしたいと思ったときにすればよい、適性も年齢も関係ないというメッセージは、何かを始めようとする人々の背中を押します。アニメはまだ結末が描かれていませんが、『スクスタ』ではある種「子ども寄り」の結論に到達しました。「自分たちもいつかは卒業してしまう」ということに対して、「次世代の子どもに託せばいい」というヒントを残していました。それが「お台場レインボーカーニバル」で、将来歩夢が母親になったときのことが話題に上っていました。
『サンシャイン!!』をベースとしながら、どこか『虹ヶ咲』的な要素も見え隠れする『幻日のヨハネ』は、果たしてどのような結論に至るのでしょうか。