普門寺飛優のひゅーまにずむ

好きなものについて不定期に語ります。

それは輝きか、それとも愛か ~幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR- 感想週報⑪『ヨハネのまほう』~

前作主人公の風格
(『幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-』第11話『ヨハネのまほう』より/©PROJECT YOHANE)

 閉ざされた世界でも仲間に声を届けようとしたチカたち。その姿を私は、2~3年前のAqoursに重ねていました。それは、ライブもほとんどできず、そんな状況下で後発作品も次々に始動する中で、『幻日のヨハネ』のアニメ化案件を引っ提げて東京ドームに返り咲くまで、そして私に「やっぱり私はAqoursが好きなのだ」と改めて思わせてくれるまでのAqoursです。

 まずは、そのきっかけでもある、ヨハネの思い違いについて簡単に書いておきます。

過去最大の災厄

carat8008.hateblo.jp

 

 

1. ヨハネの誤解

 かねてより、歌と異変の関係についてヨハネが誤解、というより飛躍した認識を持っているのではないかという疑念を抱いていました。事実は、「かつて歌で心の音をひとつにした人がいた」こと、そして有力な仮説が「心の音がばらばらになった結果、自然界のバランスが崩れたのではないか」ということです。そこから導かれた推論が、「歌で心の音を繋ぐことができれば、異変が鎮まる」ということだったのですが、いつしかそれが事実であるかのように認識されていました。

 その誤解は、8話では「お祭りでみんなで歌いたい」という願望を、「そうすれば異変を解決できるかもしれない」という形で後押ししていました。このときはライラプスも、ヨハネには特別な力がある」と言い、ヨハネの勘違いを助長していました。実際には、ライラプスが考えていたことはそのこととは違っていたのですが。

 それが前回10話の油断に繋がります。もう異変のことはなかったものとして、(みんなの後押しは必要だったものの) 心置きなくトカイへ再出発するという決心ができたのはそのためですが、実際には過去最悪の事態が発生するに至りました。

 もう世界を救った気になっていたヨハネを襲った異変。謎の怪傑ミリオンダラー*1をはじめ、ヨハネの頼もしい仲間たちの大活躍で直接の被害を出さずに済みましたが、それはヨハネの自信をゼロに引き戻すのに十分すぎるものでした。抱いた希望を打ち砕かれたヨハネは、希望を抱いたことを後悔しました。ヨハネの魔法の象徴であり、その希望を背負う存在である杖を、ヨハネはカノ川? (幻日世界での名前を知らないので、仮にこう呼んでおく。ご存じの方がいらっしゃいましたら、コメント等でお知らせください) に投げ捨ててしまいました。 

 

2. ヨハネの輝きと "Aqours"

 ヨハネが杖を捨てたことをきっかけに、ヨハネライラプスはの関係は完全に決裂してしまいます。

 塞ぎこんでヨウやハナマルが訪問してきても顔すら見せないヨハネのことを想って一計を案じたチカ。このときの素っ頓狂な「バカチカ」ぶりには懐かしくて笑ってしまいました。その内容とは、チカのトチマン旅館でヨハネを盛大にもてなすことでした。内容は真っ当ではあるものの、この状況下で繰り出されるアイデアとしては想像の斜め上を行くもので、戸惑いを禁じえませんでした。

 スカーレットデルタとしての任務があるダイヤとルビィ以外の6人が、ヨハネを出し物でもてなしました。仲間が失敗しても堂々としているのがチカらしさです。

 唐突な展開に振り回されていた私ですが、それでもぐっと来てしまったのが、仲間に負い目を感じ、身に余るもてなしに困惑していたヨハネにチカが手を差し伸べたシーンです。そのシーンにあまりにも高海千歌が、『ラブライブ! サンシャイン!!』の最高だった部分が重なって見えたからです。重なって見えたも何も、別世界の同一人物ですから当然といえば当然ですが。

 チカがヨハネに見出していたものは「輝き」でした。輝きとは、精一杯生きる人の中にいつの間にか生まれていて、その人にしかない、その人本人さえも知らない力です。チカはそんなヨハネに憧れていて、そして9人で歌う時間が幸せで、ずっと歌っていたいと思ったのは、ヨハネと同じ気持ちでした。

 そう、いつの間にか『サンシャイン!!』になってしまっているのです。ヨハネの魔法とは「輝き」である、と言ってしまうのは、『サンシャイン!!』のファンにとってはむしろ当然の帰結です。みんなを異変 (/廃校) から救えず、ゼロだと思ったものが、実は自分の中にあってゼロではなかった。これが『ラブライブ! サンシャイン!!』でなくてなんなのでしょうか。

 『幻日のヨハネ』の中で、8話と11話は特に『サンシャイン!!』寄りなのですが、私はそこに何となく違いを感じています。はっきりとその理由は言葉にできないのですが、8話の『Wonder sea breeze』で再現してくれたのは「あの頃」の懐かしいAqoursです。つまり、『ラブライブ! サンシャイン!!』をやっていた、2016~2018年頃のAqoursを思い出すものでした。それに対して、11話はそれに比べるとだいぶ「今」のAqoursに近いような気がします。その認識をもたらしているのは、おそらくヌマヅを閉ざした霧だと思います。市民は皆扉を閉ざして家に閉じこもり、容易く外を出歩くことはできない、閉塞感の漂う街は、コロナ禍の沼津、というよりも世界を想起させるものです。『サンシャイン!!』の物語は2019年の『Over the Rainbow』をもって一旦完結しました。しかし、その後にあったパンデミックが、現実のAqoursを否応なしに新しいステージへと進めました。否、本当は崩壊させにかかっていたので間違いありません。今はハナマルを、あの時以前から国木田花丸を演じている高槻かなこさんを、長期にわたる休業を強いられるまで追い詰めたものがコロナ禍と無関係とは思えません。私はAqoursを信じていたはずですが、失礼を承知で言えば10回やったら10回立ち直ったとは自信をもって言い切れません。それくらい絶望的な状況に打ち勝ち、東京ドームにまで帰ってきて、一回りも二回りも頼もしくなったAqoursの姿を、私は11話のチカたちに重ねていました。

 

3. ヨハネの愛とライラプス

 Aqoursのことが好きな私たちにとって、ヨハネの魔法の解釈はそれで異存はないのですが、この物語の中に一人だけ、否一匹だけ解釈違いを起こしている子がいます。

 ライラプスにとって、ヨハネの魔法とは自分を家族にしてくれた、暖かい魔法です。甘え腐るというやり方ではありながら家族として受容し、生涯の相棒として認めてくれている、それがヨハネの愛情であり、それを象徴するのが魔法の杖です。裏面にはヨハネが絆を結んだ仲間たちの紋章が刻まれていますが、一番目立つのはもちろん表面のライラプスの顔です。

 だから自信を無くし、勇気を捨てたヨハネ杖を捨てたことは、ライラプスにとっては裏切りに他なりませんでした。2年前、自分の元を離れてほしくなかったというライラプスの唯一の甘えはヨハネには受け入れられませんでした。それでもヨハネのことをもはや一方的に想っていたのがライラプスです。ライラプスは、ヨハネと仲違いしている間でさえ、ヨハネが8人の仲間と向き合うために、自分とヨハネを繋いでくれた杖が力になると信じて、川に捨てられた杖を探しに、濃霧の中、川に飛び込んだのです。8話で失くした杖を見つけて、みんなとの素晴らしい思い出ができたという成功体験がなまじあったからこそ、それを再び起こしてあげようと考えたのかもしれません。ヨハネが卑屈に戻ってしまったから母との約束上ヨハネを救わなければならないという責務が復活したとも、自分とヨハネの関係を取り戻したいという単純な願いがあったとも考えられます。その無謀な行いは、咄嗟のことであったため居合わせたスカーレットデルタですら止めることができず、追いかけたルビィが発見したときには、もはや虫の息となっていました。

 ヨハネがチカに影響を与えた、形のない大切なものに気づかされているまさにそのときにこんなことが起こるなんて、皮肉にもほどがあります。「一人で頑張らなくていい」という言葉をかけられるヨハネと、ヨハネのために一人で頑張ってしまうライラプスこんなことになるのなら、ライラプスだってヨハネの仲間との親睦を深めておくべきでした。たとえライラプスの声はヨハネ以外に聞こえないのだとしても、お互いがお互いをどう思っているのか、深いところで知ってもらっていれば、そもそもヨハネライラプスの関係もこれほど悪化しなかったかもしれません。とはいえ、そうしなかったということは、「一人で頑張らなくていい」ヨハネにとっても、ライラプスは結局最後の最後まで「たった一人で向き合わなければならない」相手だということになります。この一匹と一人は、ある意味で『幻日のヨハネ』のラブライブ! イズムに対するイレギュラーかもしれません。

 次回『さよならライラプス』。ヨハネの出す答えやいかに?

*1:もはや突っ込む気も起きない