普門寺飛優のひゅーまにずむ

好きなものについて不定期に語ります。

虹をつかめ! ~ウルトラマンブレーザー感想月報②~

自然の意思に直接触れに行こうとするブレーザー
 (『ウルトラマンブレーザー』第8話『虹が出た 後編』より/©円谷プロダクション/配信URL https://www.youtube.com/watch?v=U4MBTEMyIPk)

 

 

carat8008.hateblo.jp

 

 今回は、『ウルトラマンブレーザー』以下5話の感想をお届けします。

第5話『山が吠える』

特別総集編1『巨大生物の正体を追え』

第6話『侵略のオーロラ』

第7話『虹が出た 前編』

第8話『虹が出た 後編』

 

 先日9月5日 (火) で、『ウルトラマンガイア』が25周年を迎えました。今年の『ウルトラヒーローズEXPO サマーフェスティバル』ではウルトラマンガイアの24年越しの新たな強化形態・スーパースプリームヴァージョンが登場したそうです。初めて意識的に見たウルトラマンはガイアだったので、スケジュールを空けて行けばよかったと思っています。

 ちょうどその頃、『ウルトラマンブレーザー』最初の中ボスといえる天弓怪獣ニジカガチとの戦いでは、その地球の意思の存在を巡って、人間同士の間で激論が交わされました。『ブレーザー』は、過去作との繋がりが特にない作品ではありますが、「ガイア」とは地球の意思のことです。そう考えると、タイミングが良かったのではないでしょうか?

 

 

1. 特別総集編

 まずは、本編に入る前に、特別総集編の凄さについてひとこと言わせてください。

 以前にも、『X』16話『激撮! Xio密着24時』のような、視点を主人公たちから市井の人々に移した回は何度か制作されてきました。今回はウルトラマンの特番を作ろうとするTV局の人々を主人公とした、総集編という名のミニドラマで、ブレーザーのミステリアスさと相まって、その視点の変更が特に効果を発揮していたように思います。普通の人から見れば、怪獣もウルトラマン人智を超えた恐ろしい存在に他なりません。とりわけブレーザーは、ウルトラマンが正義の味方だと知っている視聴者の私たちから見ても異形感あふれる不可思議な存在です。それでも、立ち居振る舞いで自分たちを守ってくれる存在だと信用させる力をもっているのが、ブレーザーが光の巨人たる証左だと思います。

 もう一点『X』と違うところを挙げるならば、Xio (UNVER) が広報にも努めている比較的民主的な組織であるのに対して、地球防衛軍GGFは軍事色が強く、秘密主義的だということです。それが閉塞感にもつながっている一方で、3人 (テラシマヅ、ニホンマツ、キヨシマダイラというやたら苗字の長いテレビマンたち) のジャーナリズム魂に火をつけるのです。ところが、ブレーザーやアースガロンの活躍を思い出し、自分たちも頑張ろうと前向きになった途端に、番組そのものが何者か (おそらくGGFか、それに忖度したTV局の上層部) に握りつぶされてしまいます。このように、どんなに頑張ろうと自分たちは無力な小市民でしかないという絶望感は、『ブレーザー』の「怪獣映画」らしさの一端を担っています。

 

2. 意思を知る力

 さて、そんな市民の様子が描かれた総集編の前後に当たる8月、ゲント隊長率いるSKaRDがいかなる組織かを描いた1ヶ月目に続く2ヶ月目は、怪獣や宇宙人を通して、心や命について描く回が続きました。

 GGFが地域の伝承を無視して軍事開発を急いだ結果、山の神こと山怪獣ドルゴを怒らせた5話。

 機械の心を操るオーロラ怪人カナン星人が登場する6話。

 そして、「怪獣の目」から人間を見つめ続けた研究者が、人間の文明に絶望して大切なことを見失い、荒神を蘇らせる7話と8話です。

 もし怪獣が生態系の中に本当に存在するのなら、確かに行き過ぎた生態系の調整役を担っている可能性があります。例えば、CO2を吸収しなくなった極相林を焼いて植生遷移を巻き戻し、再び大地が植物を育んで大気からCO2を吸収できるようにするような役割です。しかし、実在する自然災害もそうですが、それを文明への怒りだというように解釈するのは、人間の傲慢が過ぎると思います。

 横峯教授は、地球に意思があるならば、地球を痛めつける人類を排除したいはずだと信じ、幼い頃伝承に聞いた天弓怪獣ニジカガチを復活させました。それに対し、横峯教授の教え子だったゲントは、人間も地球が生んだ自然の一部で、生態系の中で生きているのだと反論します。GGFにいたころは良き教え子にも恵まれ、厳しくも優しいまなざしで人類を見つめていた横峯教授が道を踏み外したのがなぜなのかは明言されていませんでしたが、いつまでも変わらない人間の所業もそうですし、横峯教授の強い信念がなかなか理解されなかったからというのもあるでしょう。GGFの上層部は、怪獣に対して無用の攻撃を加えることもあるほど、人類を守るために、そしてその活動の中で自分たちの主導権を示すために功を急いでいる節があります。そういう人たちは、怪獣の視点からの警鐘などに耳を傾けることはないと思います。テルアキ副隊長の言う通り、怪獣の目は教授自身の目でした。人間への失望が、怪獣と自らを同一視する傾向を強めたのかもしれません。

 ただ、自分の意思が地球の意思だと思ったのは教授の思い上がりでした。テルアキは、教授の声を聞き入れなかった人間たち以外にも、人や動物や怪獣がみな生きる意思を持っていることを指摘しました。その総意こそ地球の意思なのだという声は、ついに教授に届きました。事態が終結したときにサインを求めるほど、自らも横峯教授の著書の愛読者であるテルアキだからこそ、つまり教授の言葉に耳を傾けた者だからこそ、彼を論破することもなし得たのでしょう。ゲントに教授の命を奪う覚悟を聞かれ、同じ言葉をゲントに返したテルアキでしたが、まさに教授とやり合うのには適材適所な距離感だったわけです。

 余談ですが、最初の項に書いた「無力感」をここでも感じるエピソードが、ここにもあります。この事件で拘束された横峯教授でしたが、嫌疑不十分で不起訴になってしまいました。怪獣が現実の災害として存在する世界では、人間には「怪獣を解き放って操っていた人間」を裁けないのです。

 思い上がりと言えば、機械の声を聴いた気になっていたカナン星人ハービーもそうでした。機械にオーロラ光線を浴びせ、内なる負の感情を呼び覚まして暴走させることで人間社会を混乱に陥れ、侵略の糸口にしようという、ある意味古典的な策略をもって地球にやってきた宇宙人です。機械に感情があるのを理解できる高度な文明を持ちながら、口にするのは負の感情のことばかり。仕事を頼まれたら断れないヤスノブに同情するそぶりを見せて誘惑するのと同じように、機械も人間にこき使われてご立腹だろう、と決めつけている節があります。自動車や乾燥機のように (カナン星人基準で) 単純な機械はそれで操れても、アースガロンは同じようにはいきませんでした。一度は暴走し、ブレーザーにも歯向かいますが、危機に瀕したヤスノブを見て、ヤスノブを救おうという感情が芽生えたのです。ハービーは、機械であろうが生物であろうが、ただ単純に心のありようを想像する能力が欠如していたのではないでしょうか? いくら機械の悪意を操れても、それでは役に立ちません。あるいは、カナン星人全般がそういう種族なのだとしたら、カナン星が戦争で荒廃したのもそのせいだったのかもしれません……。

 他者の悪意を勝手に想定して決めつけ、生き物や機械が本来持っている意思をないがしろにした結果道を踏み外したり、足元をすくわれたりしたのは、横峯教授とハービーの共通点だと思います。

 

3. レインボー光輪

 毎度ユニークな戦闘を見せてくれるブレーザー。6話ではカナン星人の円盤を破壊するのにスパイラルバレードを使っていましたが、投げるときになんと体をぐるぐるにひねり、視聴者の笑いを誘っていました。確かに槍投げのときは必然的に体をひねるようになりますが、1周以上捩れているその姿はもはやゴム人間 (笑)。いや、光の巨人は光でできているので本来どんな姿にもなれるはずですが、(基本的にはボディスーツで演じられているというのもあり) 常識的な人の形を外れることはほとんどありません。ネット上では、どこかのでたらめでべらぼうな巨人のようだとまで囁かれていました。

 そんなブレーザーですが、ニジカガチとの初戦では力で圧倒されてしまいます。ニジカガチの超強力な持ち技である虹光線は、スパイラルバレードをも寄せ付けない威力で、被弾しかけたブレーザーは即座に撤退します。無論逃げたわけではなく、まともに受けたらゲントの命が危ないと判断したための撤退に違いありません。

 一切の通常兵器が効かない装甲と、それを開いたら発射され、すべてを焼き尽くす怪光線という天然の歩く要塞に風穴を開けたのは、テストもしていない手探りの新兵器、アースガロンMod.2のレールキャノンでした。この手探りの抵抗こそ、テルアキが言った「生きる意思」の現れです。その銃創から溢れ出す虹の光に、ブレーザーは手を伸ばしました。そして掴んだ新たなクリスタルをブレーザーブレスで読み込むと、ブレーザーは巨大な虹色の光の環を出し、ニジカガチを一刀両断にしました。ゲントが名付けた「レインボー光輪」という技名のセンスを、部下たちは笑っていましたが、技の名前などというものはそんなものでよいのです。別次元の伝説の英雄など「八つ裂き光輪」なのですから。

 ともあれ、光輪型の必殺技というのは痺れます。何を隠そう私はウルトラマンオーブのファンなのです。初代を除いて、あれほど光輪技の可能性を見せてくれた作品は、『オーブ』をおいて他にないでしょう。

 ところで、本記事を通して、機械や地球などの物言わぬものの心を知ることや、相手に耳を傾けることの大切さを書いてきましたが、野生児のように見えるブレーザーはそのようなことを知っているのでしょうか。『ウルトラマンブレーザー』という人間ドラマの中で、ブレーザーはタイトルにもなっていながらイレギュラーな存在のように見えます。あるいは、変に斜に構えたり我欲やプライドがある人間に比べると、いついかなる時も「体当たり」なブレーザーは、その実誰よりも戦う相手や守るべきもののことに真正面から向き合っているのかもしれません。