普門寺飛優のひゅーまにずむ

好きなものについて不定期に語ります。

われは海の子、少女の心 ~ウルトラマンデッカー感想週報⑳『らごんさま』~

 前回は、アクションと先輩キャラクターの魅力を感じられ、面白い回でした。『デッカー』は誰が撮っても登場人物のキャラが立つ気がします。

ケンゴの先輩としての一言に優しさを感じた

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 今回は、それとはまったく別のタイプの面白さでした。というより、ニュージェネシリーズ屈指の「神回」であったといっても過言ではないでしょう。

「羅権様」との思い出に囚われ続けた人生
 (『ウルトラマンデッカー』第20話『らごんさま』より/©円谷プロダクション/配信URL https://www.youtube.com/watch?v=cRUhFkhnnGQ)

 ところで、「ラゴン」が日本語 (仏教用語?) 的だと最初に気づいた人は、本物の天才ではありませんか?

 

 

1. 伝奇物ウルトラマンの面白さ

 ウルトラシリーズといえば、もちろんほぼ毎回怪獣が登場してウルトラマンと戦闘するのですが、それには様々な類型があります。怪獣は自然の猛威だったり、宇宙的な災害だったり、はたまた侵略者の攻撃だったりするのですが、時々、この世ならざる不思議な存在であることを強調された怪物もいます。

 このような伝奇物の回は、前半で怪異が現れ、それをよく知る人間が現れたり、怪異と人間との交流が描かれたりします。また、結末の類型として怪獣を倒してハッピーエンドになるものばかりではありません。それは、時として友との悲しい別れになる場合もあります。

 これらの要素が、見事にひとつに混じり合い、そこに、天岩戸伝説やクトゥルフ神話の要素が添えられ、ウルトラシリーズの防衛隊ならではの調査力や機動力が物語を推進しているのが、今回の『らごんさま』が凄いところです。

 このようなストーリーには様々な変形がありますが (例えば、『コスモス』のアヤノ隊員は防衛隊員でありながら、幼少期に『となりのトトロ』のメイのように、不思議な体験をしていることがある) 、今回は基本的な部分を全て詰め込んだ、いわばウルトラ伝奇物の「王道」といえます。

 ではなぜ、王道が面白いのでしょうか。今回のストーリー構成では、前半で視聴者を謎に引き込み、後半に入る時には怪異と人間のやりとりに心引かれてしまうのです。

 その切り替わりに当たるのが、イチカと浦沢ナギ老人の心の交流でした。前半におけるナギ老人は視聴者にとってもどこか信用の置けない人物です。古代の海から流れ着いた物品の中に模造品が紛れていたり、すぐにお金を取ろうとしたり、市役所職員の言ったとおりの偏屈老人のイメージです。そのイメージが変わるのは、イチカがナギ老人の孤独に触れたことがきっかけでした。羅権ラゴン衆の最後の生き残りであるナギ老人は、幼い頃「羅権様」に出会い、一緒に遊びますが、羅権衆の大人たちによって引き離されてしまいます。

 70年の時が経ち、羅権衆も、ナギ老人の友も一人もいなくなりました。心に開いた穴を羅権様に求めていた矢先、天岩戸として知られる巨石建造物の撤去が決まり、それに怒ったラゴンが現れて関係者に妨害を始めたのです。

 ナギ老人が羅権様に扮して逃げていたのが、羅権様に会いたい一心なら、ラゴンのほうも開発に怒った理由は、天岩戸が失われれば現世の子どもに会いに行けなくなるからだったのかもしれません。ラゴンの住処は海の底にあると言われる常世の国です。そして、常世の国の者が子どもにだけ見える姿 (今作では「若くて心の綺麗な女の子」。共に大人ではあるものの、イチカには見えカイザキには見えない) で現れるというのも、「よくある話」ですね。

 そのような描写を重ねて、元は偏屈老人と暴れ回る怪物でありながら、視聴者は一人と一体の孤独に感情移入してしまう、見事なシナリオでした。

 今回のような不思議な物語は、『ティガ』『ダイナ』などの一部の回でもメガホンを執っている実相寺昭雄監督が生前得意としていたものでした。あたかも、実相寺監督が常世の国から生き返ったかのようです*1

 

2. 時代を繋ぐ「孤独」

 ナギ老人の心は、幼い少女のままでした。羅権様に会いたいと願い続けていたばかりではなく、羅権様の帰る、決して人の行ってはいけない世界を、まるでネバーランドであるかのように信じて、そこでラゴンとずっと一緒に暮らそうとしました。

 それに対して、「心が綺麗」でありながら、大人へと歩みを進めていたのがイチカでした。ナギ老人を子どものままにした、あるいは子どもに戻してしまったのは孤独でしたが、イチカにも孤独がありました。「スフィア禍」によって地球に取り残された孤独です。時代や環境、それぞれの経験した人生は違っていても、人は皆孤独です。

 『デッカー』は、大人と若者・子どもの物語だということが、政策サイドからも言及されています。「孤独を知っている人」は、大人の定義の一つかもしれません。ここでいう「知っている」とは、自分が孤独だというだけでなく、そうは思わない誰かも孤独を抱えていることを知っているということです。ここでは、年齢に反して、イチカが少女のままのナギ老人に対して「大人」だったといってもよいでしょう。

 「痛みを知るただ一人であれ」。イチカはもう知っていて、だから常世の国に飛び込んだのです。

 

3. 本当の「ミラクル」

 イチカといえば「まっすぐの天才」。孤独なナギ老人の心を知り、救い出せると思った時には、もう取り返しのつかない行動をしていました。前々回「見つめる天才」のリュウモンがヤプールの謀略に気づかなかったのとは裏腹に、イチカはまっすぐにあの世に飛び込んでいきました。これこそムラホシ隊長が危惧していた最悪の事態、なのですが……。

 ウルトラマンデッカーが助けてくれました。

 このような回の最大の難点は、「ウルトラマンが割を食うリスクがある」ことです。ドラマが重厚すぎて、ウルトラマンの活躍があまり強調されなかったり、怪獣を倒さなかったり、倒してしまえばそれが悲劇の結末になってしまったりということです。そこで、今回のデッカーには、1回だけ大きな見せ場が与えられました。

 このときのデッカーは、ミラクルタイプでした。少女の心を持つ老婆を救うために常世の国に飛び込んだイチカが助かるためには、「奇跡」が起こるしかありません。前回のようにアクションをプッシュするのとは全く異なりますが、ウルトラマンデッカーにしかない活躍をしてくれました。

*1:本当の監督は田口清隆監督。なお、『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』の藤井亮監督に対して「今回のエピソードはタローマンに影響を受けて作った」などとべらぼうな発言をしていた