普門寺飛優のひゅーまにずむ

好きなものについて不定期に語ります。

「いま」を歌う ~にじよん あにめーしょん感想週報⑤『エマとミアと歌』~

果林の夢の始まり

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 八丈島の浜辺を自由に走り回っていた果林が夢を見つけた話が、前回でした。

 海と来れば山。アルプスの高原で文字通り牧歌的な暮らしをしていたエマが夢と出会った瞬間が、アニメに描かれました。エマ推しの私は大歓喜です。

あの日から、願いは変わらない
 (『にじよん あにめーしょん』第5話『エマとミアと歌』より/©プロジェクトラブライブ!にじよん あにめーしょん/配信URL https://www.youtube.com/watch?v=GfMTiYjseQo)

 

 

1. 歌の現実と歌に込めた願い

 冒頭、いきなりエマの歌で始まります。『叶え! 私たちの夢――』『まだ名もないキモチ』というサブタイトルを挙げるまでもなく、神回の予感です。否、エマの『Evergreen』がいきなり聴けるだけで、それ自体が神回と言っていいはずです。

 今回は、2人の「歌」と関係の深いメンバーの話です。余談ですが、これまでのシリーズで「歌が趣味で特技」とか「歌が私の人生」とか「長所は歌唱力」というキャラが皆西洋人か、その子孫 (鞠莉 = イタリア、エマ = スイス、ミア = アメリカ、かのん = スペイン、マルガレーテ = オーストリア) なのは、偶然でしょうか、それともラブライブ! シリーズの性癖なのでしょうか……。

 「Sing系スクールアイドル」ミアは、類まれなる才能を持ち、NYCで第一線で活躍していた作曲家です。プロとして仕事をしているということは、人気や再生数という問題がずっとつきまとうということになります。思い通りにならないこともとても多いでしょう。そして、音楽一家として自らの血筋に大いに誇りを持っているということも、歌を歌うにあたっては今なお重荷となっています。歌うことができなくなっていたのはそのためです*1。また、「スクールアイドルでいるうちはテイラー家のミアではなく、スクールアイドルのミアとして歌う」とよく言っているということは、裏を返せばいつかはテイラー家の一員として歌いたいという野望の裏返しでもあります。メンバーの中で一番短い半生でありながら、歌の現実を知っているのがミアというスクールアイドルです。

 一方で、エマの歌声そのものも、歌う動機も純粋です。エマは、一人娘だった頃*2、両親の帰ってこない寒い夜に、動画で見た日本のスクールアイドルの歌に孤独を慰められ、勇気を与えられました。それが今に至るまでエマを動かす原動力になっていて、かつて自分を救ったのと同じように、誰かの心に寄り添う歌を歌い続けています。将来どんな形で歌を続けるか、エマにビジョンはありません。しかし、今スクールアイドルとしてそうしているように、「いま」歌を必要としている人に届けたいという願いは、これからも変わらないはずです。エマのスクールアイドルとしての純度の高さはその「いま」への根ざし方にあると思います。その願いのための歌を歌うことができるのが、エマというスクールアイドルです。

 

2. 空へ響き、大地に花を咲かせる

 二人とも遠く離れた場所から日本へやってきただけあって、遠くへ歌を届けるということも意識していると思います。ただ、実際のところ、ミアのほうが、一度に歌を届けたい相手は多いはずです。ビジネスとしての作曲は、不特定多数を相手にします。それだけに、想いが迷子になってしまうこともきっと多かったのでしょう。アニメ本編でも、今回も、空に手を伸ばすシーンがありました。自分の歌が好きだという気持ちに気づき、自分の歌を歌いたいと思った時も、目指しているのは空でした。

  一方で、エマの歌は草原に吹く風のようであって、同時に空を見上げる草花のようでもあります。私は花に疎いので今回映ったたくさんの花の種類はわかりませんでしたが、おそらくそれぞれに意味があります。エマは「いま」に根を下ろし、それが具体的かそうでないかにかかわらず、歌を届けたい誰かのことを想いながら歌っています。大地に根差す草花のような歌ほど、気づけば多くの人の心を温めているということもあるかもしれません。ミアに歌 (今度は『声繋ごうよ』) を聴かせているエマに嵐珠が気づき、いつの間にか同好会メンバーが全員集まっていました。4話を除き、ほぼ毎回全員登場しているのは、ショートアニメとしては驚きの全員集合率だと思います。

 対照的で、しかしともにきっと遠くの誰かに届く二人の歌。私も今回のようにTVの電波を通して、インターネットの回線で、あるいはライブ会場で、また浴びたいという想いを強くしました。

*1:かのんが歌えなくなったのは「自分の心を曝け出し、誰かの心に直接触れること、それを世界中の人間に対してするということが怖くなったから」と考えている。似ているようで違う二人である

*2:エマが一人で動画を再生できるくらいの歳から現在までの間に、エマを寂しがらせまいと7人もの弟妹を拵えたエマの両親のパワフルさには驚く